来年15周年を迎えるTORII HALL。
TORII HALLのなりたちを2ヶ月に一度ひもといていきます。


ここトリイホールの楽屋はまるで旅館の一室のような和風な造り。落語や演劇など公演をご覧になるお客様には、なかなか見るコトの出来ない場所ですが、ホールをご利用いただく方には大変気に入って頂いています!そこで、まず、なぜ楽屋がこうも和風なのか?皆さんと探ってみましょう。

写真:トリイホール楽屋風景





写真:上方旅館入り口風景

トリイホールの楽屋は、この「上方旅館」の一室《ひさごの間》を移築したものです。実は、トリイホールの前身は落語家や歌舞伎役者、新派の役者などがお泊まりになる老舗旅館で、文化人として落語、歌舞伎、ボクシングと精通した「上方藤四郎」はその主人でした。


写真:上方旅館 外観及び内観風景

賑やかな千日前にあるにもかかわらず、入り口を入るとそこに落ち着いた空間がある。よく手入れされた玄関先を通り、中へ。
当時を振り返る馴染みのお客様は「うちに帰ってきたようだ」と。


写真:上方藤四郎

本名鳥居鉄三郎。市井の粋な文化人として、エッセイやボクシング評論などを執筆。果ては夕刊紙にピンクコントまで手がけた。数多く作品があるものの一冊も出版はしていない。後、トリイホールが出来た年に上方藤四郎の作品集として「浪華の夢のあとさき」が出版される。ペンネームを藤四郎(トウシロウ)、即ち素人と言い切ってしまうところに粋な生き方や人柄がうかがえる。




盛り場には寺がある
(昭和39年9月24日 大阪新聞「ブラリ盛り場」掲載)

 千日前には、お寺が三つある。有名な法善寺−といっても、現在本堂は再建されておらず、寺のない法善寺であるが、親はなくとも子は育ち、寺がなくても法善寺の名は全国津々浦々までトドロキわたっている。戦前には千日前の通りにむかって門があったが、焼けていまはあとかたもない。そのかわりに“天竜山法善寺”の碑がたった。
 もう一つは、スバル座南隣の竹林寺だ。ここもさいきん門の左横に“浪速霊場・千日前・弘法大師”の碑をたてた。ムカシは、スバル座のある場所もこの寺の土地であったから、境内もひろびろとしていて、ハトがたむろしていた。二十一日のお大師さんの日には、どこからともなく善男善女がゾロゾロおまいりに現われて、信玄袋のなかから米をつかみ出し、ハトに投げあたえた。近ごろ、お寺まいりをするような善男善女はいったい、どこに姿を消してしまったのか。世は悪男悪女ばかりになったのであろうか。亀屋忠兵衛の墓がここにある。「カネより大事な忠兵衛さん」という梅川の表現には、あまりに大阪的でエゲツないと抵抗を感じるムキもあるらしいが、梅川はカネのために苦界に身を沈めたふしあわせな女性。こんな女がカネのありがたみを知り、一にもカネ、二にもカネ、カネのないのはクビのないのも当然やと思うのは当然のハナシで、そんな彼女が「カネより大事な・・・」と悲痛なサケビをあげるところにこの露骨な愛のコトバは、万金の重みがあるのだと思いたい。
 バー、アルサロの女性に、いくらモテたといっても「カネより大事な」というほれられかたは、めったにしないものである。カネの切れ目がエンの切れ目。そう思えば水商売の女性相手の情事はいたくむなしいが、人間、カスミをくって生きてはいけず、ゼニが介在するのはどうにもいたし方のないことであろう。ネオンの光りが交錯し、明滅する雑踏千日前の一隅にアブラににじんで薄よごれた奉納ちょうちんのあかり。ゆらめくロウソクの灯。たちこめる線香のけむり。東京の浅草、京都の京極、名古屋の大須と、古い伝統のある盛り場には、みんな寺があり、それが一種の情緒になっているのだ。竹林寺の前に、かつては千日前名物(?)共同便所があったが、風のつよい日には、えもいわれぬニオイが通り筋一帯にフクイクとただよい流れ「これでは営業妨害や」と付近の飲食業者がケッ起した。軒並みぽんぽんと陳情書にハンコを取り、市会議員を動かして取りこわしてしまったが、人波あふれる千日前に一か所の共同便所もないのは不都合だと、その後、復活の声が高まったこともある。
 だが、だれにしたってこんなものをじぶんの地域にもってこられては迷惑千万。“原子力潜水艦”みたいにほうぼうで敬遠されて、このハナシ、ションベンになった。寺は、もう一つ、市電停留所の前に妙見さんがある。尼寺のないのが残念である。
(「浪華の夢のあとさき」より)



川柳
(昭和25〜26年頃、鳥居金矢と号し、川柳雑誌「番傘」編集人として参加していた。)



ピンクコント
(昭和29年頃より、夕刊紙「新関西」に名前をもじり「心閑彩」のタイトルで長期にわたり連載。
人気のコラムであった。)


昭和40年5月2日

「棒」
 女子寮の女の子たちがキャッキャッきょう声をあげて、若い夜警の男のへやに侵入してきた。
彼は、タクマシイ部品を所有していることで、寮内の評判になっている男であった。
 「なんの用かね。お嬢サン方大ぜいそろって・・・」「あたしたち輪投げあそびをしたいんだけど、あいにく棒をこわしちゃったの」「じゃ、このオレに棒の修理をしてくれといわっしゃるのかね?」「ウーン、修理なんかいいワ。ベッドに横になってもらえばいいのよ」



昭和40年5月3日

「バカにするな!」
 パトロン氏がアパートに電話をしたら、かんじんの彼女がいないで、電話ぐちに出たのは若々しい男の声だった。
 パトロン氏は、フン然としていった。「あんたはどなただね?」「あれのおやじでございます。きょう、クニ元から久しぶりに娘に会いにまいりましたんで・・・ヘイ」「フーム、しかし、彼女のおとうさんにしちゃ、まるで青年のような声だな」「それがワシが早婚だったもんでいまだって娘とは、兄妹のようにしかみえないって世間じゃ、そう申すんでございますよ」「じゃ、いくつのときのお子サンなんだね?」「たしかワシの三つのときの・・・ヘイ」


*資料の保存状態が悪く、多少イラストが見難くなっております。


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