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「すず風」 八月号(2008年8月1日)

炎天と海とに面し天主堂
      
                                阿波野青畝

それは、背が高い、たくましい、意志の強い、無口な、あのブーア人たち、
自分の羊たちや家畜の群れのこと、自分が権威を持つ話題としての豹の習性のこと以外は、
決して話さないあのブーア人の一人であった。太陽の灼熱の下、ほぼ二時間、
広大なアフリカ平原を歩きつづけたあと、彼はゆっくりした口調で私に言った。
「ずっと前からあなたに尋ねたいと思っていることがある。
あなたは教育を受けた人だから。ここのような平原にあなたがひとりっきりでいる時、
陽がこのように茂みの上に強い光を投げかけていいる時、
何かが、あなたに話しかけているように感じないか?
何であれ耳で聞くというのではない。それはあなたがじつに小さく小さくなり
『他の御方』がじつに大きくなる、とでもいうようなことなのだ。
その時、世界の小さな事柄のすべてが、何ものでもなく見える。」

                                《ルドルフ・オットーの書物に引用されたもの》
                                  アンリ・アファレル編  高橋たか子訳



「すず風」 七月号(2008年7月1日)


「落ち着いた生活をし、自分の手で働くように努めなさい。
そうすれば、・・・品位を持って歩み、誰にも迷惑をかけないですむでしょう。」
(テサロニケ4:11)

欽定訳英文「聖書」には、`study to quiet`と言う訳語がこの「落ち着いた生活」に
使われているそうです・・・静かになることを学ぶと・・・これが品位を生み、
まわりの人びとから一目置かれ迷惑をかけず、粛々と毎日自分の手でひとり働くということ。
これがキリスト者の品位・品格だとパウロは説くのです。
まず・・・`study to quiet`

パウロが提案しているこの三連語「落ち着いた生活・自分の仕事に励み・自分の手で働く」は
ただ世の中を超然と見据えて、カッコよく生きる信仰のスタイルだと言うのではありません。

後年、これが「愛の賛歌」(コリント前書)の「信・望・愛」につながる
主イエススの三つの道でした。実は当時、テサロニケは主キリスト再臨の噂が流れ、
信仰生活の動揺が起こり、騒々しい空気が漂っていたのです。
秋葉原の悲しい出来事も、北京オリンピックの興奮もわたしたちを揺るがします。
このへんで、わたしたちは、深いレベルで「静かになることを学ぶ」`study to quiet`ことを大事に・・・
キリスト者の品位と品格を磨きませんか・・・宗像の黙想の家でいかがでしょう!

  


「すず風」 五月号(2008年5月1日)

『大祭司(キリスト)は、自分自身も弱さを身にまってるので
無恥な人、迷っている人を思いやることが出来るのです。』
(ヘブル5:2)

もう50年も前のこと。私は元気いっぱいで熱心なカトリック青年でありました。
でもこんな自分が神父に、御受難会の司祭になれたらという
まぶしい望みをそかに心に熱く抱きはじめていました。

ある日、修道会入会に必要な推薦状を主任司祭からとの要請。
早速、私の小さな教会の司祭館に赴きました。
秋の夕暮れ、粗末な木造のその建物の内部は薄暗がり。
形ばかりのノックで執務室に勢い込んで中に入って私が見たもの、
それはスイス人の老いた神父がソファの上で泣いている姿でした。
持病の神経痛のためか『痛い、痛い』と。
また、『この教会の信者は不熱心だ』とつぶやきながら大粒の涙を流して泣いているのです。
慰めの言葉もなく呆然と立ちつくしたその時の私でした。

宣教のため、遠く故郷を離れてひとり、
痛みと老いと挫折感に打ちひしがれて泣いている。
自分の弱さを若者のこの私に隠そうともしない老いた司祭。
これでいい、ほんとうにこれでいいのだと思いました。
これこそ十字架にかけられたあの主イエススの道、
神と人々に仕える司祭の道だと思いました。


「すず風」 四月号(2008年4月1日)

『キリストは人間の姿であらわれ 死に至るまで しかも十字架の死に至るまで
自分を低くして従う者となった。
その故 神はキリストを高く挙げて すべてにまさる名をお与えになった』

(典礼聖歌317・フィリピ2:8-9  参照フィリピ4:5)

* * * * *

ト・エピエイケス(名詞はエイピエイケア)・・・

「広い心」、「寛容」、「温和さ」と訳されているギリシア語の一つの言葉にこだわっています。
日本語の「もったいない」や「おかげさま」と同じように外国語には訳されない言葉です。
パウロはこの「エピエイケスな態度がすべての人に知られるように」と勧めています。
これはキリスト者の特徴、アイデンティーティーだというのです。
神の『あわれみ』とはとはこのことですとも。
その心は・・・正義、権利、法則、建前といったことがらに、いたずらにしがみついたり、
こだわったりすることなくよりよい善のため、とりわけ愛のために必要なら
それらのことがらから離れ、超越して行動しうるだけの柔軟で、寛容な考え方、
態度、姿勢を意味するそうです。

平たく言えば・・・「譲る精神」、「負ける覚悟」、「損をする精神」なのです。
私の携帯メールの「よく使う単語」では「ま、いっかあ」と登録しています。
過越の祝い、神さまの愛と慈しみがわたしたち一人ひとりの心の深みに!
「ま、いっかあ」のささやきを聞き取ることができますように!
よいご復活をお迎えください。



「すず風」 三月号(2008年3月1日)

『なぜ君は走るのか?
なぜ絶え間なく走っているのか?
止まってごらん。そして永遠なるものについて考えなさい。
間もなく君は永久に止まらなくてはならなくなるであろう。
君は永遠へと方向付けられているのに、どこへ行くのか知らないのか。』

フランシスコ・ベルシーネ神父の「福音の智恵」

* * * * * * *

四旬節 深い祈りの季節です!
永遠へとまなざしを向ける時です。
「祈りの日」(毎火曜日)に、主イエスの光といのちを、
ここむなかたの祈りの森の中で歌いませんか? ご一緒に!

この季節、主イエススの十字架と復活にあわせて
私たち自身の生と死を想い、霊的生活をリセットします。

受難の主日夜八時、恒例:薪能風の受難の朗詠をいたします。
本年はマタイ受難。
能管:森田流笛方 槻宅 聡   朗詠:鈴木忠一CP


「すず風」 二月号(2008年2月1日)

光はもう春!

凍てつく空を見上げて無限の時空をしのびます。

真砂ナス数ナミ星其(その)中ニ
吾ニ向カヒテ光ル星アリ

                                 正岡子規

子規は「病牀六尺」のとおり、長年病床で身動きもできないまま苦痛にさいなまれ、
三十五歳で世を去ります。
床から身を起こして、夜空を見ることもできない子規が、
日本文学の革新という一大事をなしとげたその心は
「吾にむかひて光る星」を受け、おおらかに応えようとしたことです。


私たちが星に向かって願いをかけるのではない。
むしろ星が私たちに向かって期待して光っているのです。

ナチスの強制収容所を経験したV.フランクルは言います。
『人生から私たちがまだ何を期待できるかが問題なのではなく、
むしろ人生が何を私たちに期待しているかが問題なのです』(「夜と霧」)

長い間、病をかかえて果敢に生きるわが友人を想いながら、
「灰の水曜日」から始まる四旬節に心に刻みます。
今年は2月6日が灰の水曜日。

●年甲斐もなく、ヨハネ、マルコに続いて今年「枝の主日」(受難の主日)の夜、
能楽師 槻宅聡先生の能管にあわせて「マタイの受難」を朗詠いたします。
ご覧いただければ幸い。



「すず風」 一月号(2008年1月1日)


2008年 あけましておめでとうございます!
本年も、心身ともにおすこやかに!

この1年365日、「すべての営みは、その時にかなって美しい」コヘレトの言葉3:1

そんな日々でありますように・・神さまの恵みがゆたかにとお祈りいたします。

* * *

祈った後はね、いいかい今度は神さまの時を待つんだよ。
                                   
・・・青山圭秀「祈りの言葉」・・・

「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

すべてのものにはその時があり、すべての営みに時がある

生まれるときに時があり、死ぬときに時がある

植えるときに時があり、引き抜くときに時がある

泣くときに時があり、笑うときに時がある

愛するに時があり、憎むに時がある

戦争に時があり、和睦に時がある。」


コヘレト伝道の書・3:1
                                  


「すず風」 クリスマス号(2007年12月25日)

午前11時、ガブリエル神父さまの司式で森の教会クリスマス・ミサ
ミサのあと、ログハウスの案何所でにぎにぎしく持ち寄りの昼食パーティとプレゼント交換。

私への貴重なクリスマス・プレゼントは・・・FTくん(29歳)
本日12月25日午前8時、北九州医療刑務所を出所(出獄)
直後の8時30分頃、カトリックの鈴木さんに会いたいと電話連絡。
そして、小倉・城野の牢獄を出発、ここ宗像の福岡黙想の家に直行。
FTくん、森の教会のクリスマス・ミサにも参加。

私のつたない説教「クリスマスの心は愛」にも耳を傾けてくれました。
昼食パーティにも食欲旺盛を大いに発揮!「東方の賢者」のプレゼントFTくん、
3年1ヶ月の刑期を終えてまずスズキに会いたかったと述懐!
・・・最愛の4歳の娘に会いに行く前に、ね。
「枯れスズキ」なれど、まあ、いっかあ!とただそんな気持ちだけだったのかもしれませんね。
でもうれしかったア!・・・これぞ、教誨師冥利!などとイキがっていたクリスマスの私でした。

こんな訪問、ほんとは原則禁止!
各種の「お礼参り」がありますからね。
この日、幼子イエスさまにこのステキなプレゼントを捧げて、
愛と恵みをFTくんと彼の家族にと、私、祈りました。


「すず風」 十二月号(2007年12月1日)

「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、
布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
(ルカ2:6)


「サーカスのゾウさんたちがね、そろってボクにあいさつしたんだよ。」
バチカンの移住・移動司牧協議会の長官室でわたしに語る。
ゾウのように巨体をゆるがせながら得意げに語るこの人もゾウのように聡明で穏やかな人柄、
(故)ステファノ濱尾文郎枢機卿(享年77才)である。
「現代社会にはびこるのは、物質主義、個人主義、金銭至上主義とともに
極端なナショナリズムや排外主義、民族差別など。
今こそ教会は、聖霊の導きを祈りながら、これらの障害に挑戦していくべき時を迎えました。」

日曜日にミサにいけない人びと・・・・・・・・
サーカスや遊園地で働くロマの人びと(かつてジプシーと呼ばれ差別を受けた)、
パイロットや空港・鉄道、運輸関係の人びと、
住居のない移住者や移動信徒、留学生や巡礼者にも
神さまの恵みの光が注がれるようにと教会は配慮する。
その評議会の長官として、常に現場に足を運び、
そこで働く人びとの声に静かに耳を傾けるこの人。
アジアで初めてバチカンの閣僚として輝く仕事をつとめ上げた
カトリック教会の大切な柱が濱尾枢機卿であった。
11月8日、日本の教会はその大きな柱を失った。悲しみはまことに大きく深い。

クリスマスも近づいた。そういえば、主イエズスの最初の教会、
聖家族イエズス、マリア、ヨセフも使徒たちも
十字架の立つゴルゴタの丘への移動信徒であった。



「すず風」 十一月号(2007年11月1日)

『教えて下さい、主よ、わたしの行く末を
わたしの生涯はどれ程のものなのか
いかに わたしが はかないものか、悟るように』
 詩編39:5

イギリスの俳優、アレック・ギネス卿の死を英字新聞で温かい書き方で報じていました。
「戦場に架ける橋」や「スターウォーズ」で名演技を見せたこの名優は、
六十年間映画や舞台に出て、八十六歳で亡くなりました。
彼は単純な生活を深く愛したと言われています。

天国はどんな所だと思いますかと聞かれたとき、彼は答えたそうです。
「夏の夕方、一人、二人の友人とテラスに座って、
気持ちよく飲みながら、静寂を聞いているようなものでしょうね。」

秋の深まりとともに、人生の行く末を想う日々。
静寂を聞き、やさしく明るくあたたかく愛を積み重ねたいものですね。
16世紀スペインの神秘家十字架の聖ヨハネはこんな言葉を遺しています。

『人生の夕べには 愛について問われるであろう』


「すず風」 十月号(2007年10月1日)

秋も深まりました。
寂しい夕暮れ、重い病を抱えてひとり病院の壁を見つめる我が友を想う歌です!
少女マチルド・ロアも生涯病身で孤独でした。
でも祈りの中でいつも「あの子」と名付ける主イエスと一緒でした。
こんな詩をうたい、十二歳の生涯を閉じました。
私たちに小さなほほえみと心のぬくもりを残しながら。

私の咽喉(のど)が痛いとき
あのこの咽喉も痛み

私が夜咳をするとき
あの子も眼をさまして咳をする

わたしがママから叱られて泣くとき
あの子も私と一緒に泣いている

夕日にうつるわたしの影法師のように
あの子はいつもわたしといっしょだから
           
                                    
・・・遠藤周作「秋の日記」から


「すず風」 九月号(2007年9月1日)

九月から毎月初金土日の二泊三日「荒れ野の日」(参加費千円)を黙想の家で始めます。
信仰生活なら知っているつもり、十分やっているつもり、祈っているつもりの私たち。
ここで「つもり」をリセットしてみませんか。
またたきの信仰詩人:水野源三さんの心のときめきに耳を傾けます。

「知りませんでした」


知りませんでした 知りませんでした 主イエスが 主イエスが

こんなにも私にとってすばらしい方だとは


知りませんでした 知りませんでした 主イエスの 主イエスの

十字架の苦しみが私のためとは

知りませんでした 知りませんでした 主イエスの 主イエスの

愛に富まれる御心がはかりがたきとは

知りませんでした 知りませんでした 主イエスの 主イエスの

なやむとき苦しむ夜に助けが近きとは



「すず風」 八月号(2007年8月1日)


炎天下 随う使徒も主も 跣足       景山筍吉

真夏・・・光と熱の季節そして聖母マリアの被昇天祭。
トルコはイスタンブールのトプカピ宮殿。その薄暗い宝物殿の中、
観光ツアー同行の神父が熱心に宝石のコレクションを見ている。
問わず語りに・・・「ここは、大した光もないのに、あの宝石はよく光るなあ。
私たちもああいうふうに僅かな光で光らなきゃいけないのに、
修道者でもなかなかそうはできない。たいしたもんだな」・・・
片隅で静かに生きることほど、見事な案外むずかしい生き方はないと
カトリック作家の曾野綾子さん。

なにゆゑに家を出でしと 折ふしは心に愧(は)じよ 墨ぞめの袖  良寛和尚


「すず風」 七月号(2007年7月1日)


三百年の江戸の太平が都市部に暮らす
長屋の住人たちにもたらした新しいライフ・スタイル。
それは『三ない主義』といった、次の三つが「ない」ことだそうです。

@ モノをできるだけ持たない A 出世しない B 悩まない

漫画、テレビ、文筆で江戸文化の名案内役だった
杉浦日向子さんが亡くなって今年で丁度二年。
そば好きの彼女に特別の親しみを感じる私。
彼女のこんな言葉に耳を傾けます。
「今、この三ないを私たちは全部持とうとしています。
この社会で、飽食の果てに来るものは疲弊した肉体と精神です。
このままなし崩しに滅びていくよりも
私たちは《新しい貧しさ》を選んだらいかが?」と。

私たちの主イエススは、はっきり言います。
「貧しい人は幸い。神の国を求めろ。思い悩むな」。
哀しいほどモノもカネもなく腹ペコペコ。でも目はランラン。
悩み、大いにあり!でも呵々大笑!弾む心と体と魂!
誰かを命がけで愛したい。これこそ幸いの原風景ですよね。

お金も美食も、ま、要らない。要るのは私とあなた!
《新しい貧しさ》を真ん中に据えた
《福音グッドニュース・ライフ》を始めましょう、よ!



「すず風」 2007年夏号


初夏の宗像、福岡黙想の家は只今したたる緑。
毎年この頃、はるばるの旅、ホトトギスたちが来訪。
夜の闇を引き裂くその鳴き声に静寂な「祈りの森」は活況。
まるで神さまを命がけで賛美しているかのような強い響きです。

ご近所の名残村のお百姓さんたちは
無農薬の稲作をと十年がかりの努力。
その実を結んで、只今、毎夜、あまたのホタルが飛び交い、光のシンフォニー!
私たちを幽玄の世界に誘っています。
おいでになりませんか。



「すず風」 六月号(2007年6月1日)


今年は5月27日。聖霊降臨を記念して、教会のお誕生日を祝いました。
初夏の風のように、聖霊は私たちのそばにそっと寄り添い揺るがすお方。
今日も神さまは上機嫌!
なのに自分のエゴにとじこもり、我が家にひきこもる不機嫌なこの私。
聖霊さまに打ち砕いていただきたいなと祈りつつ、口ずさむ詩(うた)は・・・

一、 み神のうちに生かされているのに 自分一人で生きていると
思いつづける心を 砕いて砕いて砕きたまえ

二、み神に深く愛されているのに ともに生きる人を真実に 
愛し得ない心を 砕いて砕いて砕きたまえ

三、み神に罪を赦されているのに 他人の小さなあやまちさえも
赦し得ない心を 砕いて砕いて砕きたまえ 

「こんなに美しい朝に・・・瞬きの詩人:水野源三(1937-1984)の世界」から


「すず風」 五月号(2007年5月1日)


聖フランシスコ・ザビエルを記念する鹿児島旧司教座聖堂が
宗像に移築されます。「聖堂再生」のプロジェクトが始まりました。

なぜ、ここ宗像にとマスコミの方々に追求されました。
ザビエルは来日直後、鹿児島から京都に向かいます。
途中、宗像市赤間の宿を通ったご縁です、と答えています。

1549年8月15日、聖フランシスコ・ザビエルは鹿児島に上陸。
同じ年の11月、日本人の印象をインドの同僚宛の手紙にこう書き送っています。
「日本の人びとは今まで発見された国々の中で最高であり、
日本人より優れた人びとは異教徒の間では見つけられません。
彼らは親しみやすく、善良で、悪意がありません。
驚くほどの名誉心の強い人びと。
また、大部分の人びとが読み書きができ、一人の妻しか持ちません。
彼らは善良で、社交性があり、また、知識欲が極めて旺盛です」

ザビエルを思い起こす聖堂再生。
わたしたち日本人が昔から持っていた
ステキな資質を再発見・再確認しませんかと、
宗像ザビエル聖堂から発信したいな。
それも記念、それもご縁です。


「すず風」 四月号(2007年四4月1日)


***ほんとにつらい時って 誰にも言えない・・・よね。***

桜の花がふぶく長崎の小さな町、
ふと街角の教会の掲示板にこんなことばがありました。
身につまされる思いで立ちどまりました。
明るい歌で過ぎ越の神秘を祝う聖堂の外に
小さな人が一人そこにたたずんでいました。
♪ いざいざ喜べ わが救い主は
死の苦しみに勝ち み墓を開きて よみがえりたり ♪


自殺防止センターのこのことばが、その人に伝わればという思いで
春の陽気な風の中を歩み去りました。
「わたしは父にお願いしよう。
父は別の弁護者を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
この方は、真理の霊である。」
(キリストのことば:ヨハネ14:16-17)

復活のあと、おん父のもとから遣わされたこの真理の霊、
聖霊は、わたしたちのそばによりそうお方。
ああ、イエスさま、あなたはずっとわたしを待っていてくださったのね。
ありがとう。


「すず風」 三月号(2007年3月1日)


春風タイトー、いよいよ華やぐ弥生三月、四旬節。
今年、復活徹夜祭に、
洗礼・堅信・聖体の入信の秘蹟を受ける方は次の四人の方々です。

森 幸乃さん(50代・主婦)
平野 勝久さん(40代・会社員)
早田 克成さん(30代・会社員)
森 誠吾さん(25歳・音楽家)

今こそ、むなかた森の教会、この小さな信仰共同体は
この方々を喜びのうちにお迎えし、
「祈り・学び・交わり」の中で、更に豊かに深く成長していきますように。
また、心をあわせ。「主よ、来たりませ」(マラナタ)とひたすら祈る日々、
主イエスと共に歩む四旬節となりますように。

『神は、来てほしいと願う人のもとにだけやってくる。
長い間、しばしば、そして熱烈に願う人のもとに神は必ずやってくる』

(フランスの女性思想家 シモーヌ・ヴェイユのことば)


「すず風」 二月号(2007年2月1日)


本日も風花が舞います・・・寒いですね、ほんとうに。
でも、光はもう春、風やわらぐ四旬節。
灰の水曜日、今年は2月21日。この日から四十日間が四旬節です。
本来、復活祭に洗礼を受ける人々の最終準備の季節。
今年も、四人の方が洗礼・入信の秘蹟を受けます。お祈り下さい。

四旬節はまた断食と禁欲の季節。イマイチ深まらない祈りの生活。
シャキッとリセットしてみませんか。
雑誌「家庭の友」三月号に私、断食・禁欲について記事を書きました。
読んで下さったらうれしいな。


「すず風」 一月号(2007年1月1日)


今年もよい年、恵みの年、美しい国、幸せな家族、家庭でありますように!

笑顔で挨拶を交わし 小さいことにもよろこび
嘘を言わず 悪口も言わず 
全てのことに感謝し 人の幸せを祈る
 一月一日の気持ちを 皆がみんな
十二月三十一日までもちつづけていられたら
 
美しい国になる

星野富弘


「すず風」 十二月号(2006年12月1日)


「神さまーッ! あの教会の人たち、オレを見て、
出て行けー出て行けーって、オレを追い出すんですよ!ひどいじゃないですか!」と
酔っぱらいのホームレスが大声で叫んだ。
しばらくすると、神さまの声がかすかに聞こえてきた。
「ああ、あの教会か! ん、実は私も追い出されているのだ。」

「恐れるな。今日、あなたがたのために救い主キリストがお生まれになった!」

その夜、この人達もホームレス。だから・・・宿屋ではなく馬小屋。
赤ん坊イエスは飼い葉桶の中。
そして、今宵、馬小屋はわたしたち。飼い葉桶は私たちの心。
今日こそ、幼子イエススを迎える。決して追い出したりはしませんよね。


「すず風」 十一月号(2006年11月1日)


今日、十一月一日は「諸聖人の祭日」(万聖節)です。
信仰宣言で「聖徒の交わり」を信じますとさりげなく言い表しますが、
聖徒とか聖人っていったい何者なのでしょうね?

現代の聖女と言われているマザーテレサが帰天してもう七年。
こんな話しが残されています。
生前マザーテレサはアメリカのサンフランシスコで記者会見。
いじわるな貴者の質問
「あんた、『生きてる聖人』って言われてますけど、どんなお気持ち?」

マザーはすかさず答えます。
「記者さん、あなたが私の中にイエスを見て下さっているなら、私、とっても嬉しい。
私、ハッピーです。だって私もあなたの中にイエスさまを見ているんですもの。
聖人になるってことはね、ごく少数の限られた人たちのためのものではないんです。
すべての人が呼ばれているんですよ。記者さん、あなたもよ!
私がしていることは私のためではありません。
全部、イエスさまのためですもの」

ああ、聖人って、一生懸命主イエスさまと生きている人のことなのね
・・・私でもできそーっ!


「すず風」 十月号(2006年10月14日)


春はただ花ひとえに咲くばかり
もののあはれは秋ぞまされる (詠み人しらず)

秋も深まりました。
「むなかた・てんてんまつり」もおかげさま、喜びのうちに幕。
教誨師仲間の鈴木啓之先生の感動的なメッセージ
「昔 極道、今 牧師」にただただ感涙。

神さまのみ摂理を「もののあはれ」神さまの憐れみと慈しみと解釈しては、
只今、人生は秋のただ中の私。しみじみ心に響きます。

人生の秋。大シンフォニーの最終楽章のように、この季節、一年のメインテーマ、
そしてこれまでのわが生涯のおおきなテーマが集結、
深く美しいハーモニーを生み出すその時でありますように。



「すず風」 九月号(2006年9月9日)


犬養毅のお孫さんの犬養道子さん(86歳カトリック作家)の言葉。
英語で「わかる」《understand》アンダースタンドという言葉は
「下に立つ」と素直に訳したらよかった、ですって!なるほどね。

人間というのはやはりどこか自分はえらい、自分は正しいと思い込んでいるもの。
だから・・・意識して、努力して人の「下に立つ」ぐらいでちょうどいいの。それで対等。
幼い頃、母に連れられ近くの孤児院を訪ねていた。
おみやげって私の大事にしていた人形やおもちゃなの。
子供心にどうして!って思ったわ。
そうしたら、母は「自分の要らないものを人さまにあげても、
差し上げたことにはならないのよ」って。
「人の役に立ちたいと思うなら、自分も少し痛い目にあわないと」とも。

そう言えば、9年前の9月5日に亡くなったマザーテレサも
《Love Hurt!》(愛は痛むもの)っておっしゃってました。ほんものの愛ですね。


「すず風」 八月号(2006年8月11日)


人生には三つの坂があるんですって。
上り坂と下り坂そしてマサカという坂。
なるほどなあ!

ごく身近な愛する人のマサカの境遇に、一緒に苦しみ悩み、
たくさんの涙を流した人がいます。
これは人間の知恵や努力では乗り越えられない。
やっぱり主イエス様の慈しみにすがるしかない。
今までの生き方の延長線には回答が見えない・・・そんな心境。
神さまの心の目でもう一度自分を見つめ直して受け止めたい。

先祖からの誠実な仏教徒のお家柄。
だがもう一つのマサカ。まさに清水の舞台から飛び降りる!
そんなお気持ちで洗礼を決意した方がここにおいでです。
八月十五日、マリアさま被昇天のお祝い美に受洗される原田豊さん

(55歳 小児科医)です。


「すず風」 七月号(2006年7月1日)


6月29日は聖ペトロと聖パウロの祭日。
梅雨の中のみごとな晴れ間。乾燥注意報!

この日、谷正子さんのご両親、中島正光さん(90)マツエさん(85)が
折尾のご自宅で洗礼の恵みをお受けになりました。
お孫さんの菜々子さんもご一緒。
「主の祈り」の一節ごとに「はーい」と少年のように応えられる正光さん。
静かに跪くマツエさん。

間瀬先生や天村さん森田さんと同席した「森の教会」の江口夫人も・・・
「子供を産んだ時のあの気持ち!」と喜びの涙。
輝く緑の森の中、さわやかな風が聖なるこの老ご夫婦を抱擁.
本日まことの快晴。でも喜びの涙で私たちの心の温度は限りなく上昇!
乾燥注意報解除!


「すず風」 六月号(2006年6月16日)


雨の季節・・・皆さま、心も体もお元気で!
お天気や体調が少し悪くても・・・主イエススのもと、今のまんま、上機嫌。
ずーっとお互い同志、「いい人」でありますように!

「水を発見した者は誰だかわからない。
でも魚でないことだけは確かだ」と言います。
私たちは普通「いい人」に囲まれていますよね。
あまり身近で当たり前だから気がつかないのね。

でも「いい人」ってどんな人?
ある本にはこう書いてありました。ご紹介します。
「いい人」は単なるナイスガイ(いいヤツ)ではなく、
人の気持ちに共感する人、愛想の良い、明るい、優しい、感じの良い、
したしみやすくおもしろい人、素直で気取らない人。
「おおざっぱに言えば、普段エゴイズムとうぬぼれという
人間の最も醜い欠点の反対行動をとって生きる人」ですって。

そっかあ!なるほどねえ!いい人になりましょうね、皆さん!



「すず風」 五月号(2006年5月18日)


浦上四番崩れ (潜伏キリシタン最後の迫害・1868年〈明治元〉) で、
長崎から島根・津和野の乙女峠に流された153人の信徒達、
寒さと飢えと拷問を忍36人が信仰を捨てずに殉教。
リーダーの守山甚三郎さんの「提灯の話」が有名。
改宗を迫って、役人がお日様を拝めと言う。
守山は言う。
「お役人さま、夜道にご親切にも提灯を私に貸してくださいました。
おかげで無事に家に帰れました。
さて、あなたはその提灯にお礼をいいますか
それとも提灯を貸してくれた人にですか? 
ええ、太陽の恵みはよく知っています。
でも私たちは太陽ではなく太陽をお作りになった天主(神)さまを拝むのです。」

後日、守山甚三郎は証言。
「あの時のことばは聖霊が語らせてくださいました。」

今年、聖霊降臨祭は6月4日・・・聖霊は、風や息や空気のように、
私たちのそばにそっと寄り添うお方です。
やさしくあたたかくあたたかく、そして元気に”気”合いを入れて祝いましょう!
   
♪マリアさまのこころ それは青空 
       わたしたちを包む広い青空♪
(典礼聖歌307)

風が爽やかに涼やかに吹きます。
陽の光を浴びて、森の緑もさまざまに輝いています。
こんなに自然は美しく、そして上機嫌!
ましてや、わたしたちの神さまは、今こそ上機嫌!
五月は聖母月!ロザリオを指でつまぐりながら、
祈りと賛美で神さまの心の深みに忍び入りましょう。
マリア様のこころの真ん中には、いつもイエスさま。
ロザリオの祈りは、主イエスさまの福音がいつもあたたかくこだましています。
この祈りで、私たちは、人生のリズムを単純に刻んでいくのです。
・・・ああ、いいなあ、いいなあ、と。
私たちも只今、上機嫌!



「すず風」 四月号(2006年4月6日)


春うらら。いよいよご復活を迎える喜びに、野も山も、
そしてここ「祈りの森」にもあふれます。
「過越の聖なる三日間は、
全典礼歴年の頂点としての輝きを放っている」

                             (典礼一般原則18)
これぞまことのカトリックのお祝い!
12月のクリスマスや8月の聖母被昇天祭よりも大事な日。

第一日:4月13日(木)
日没、午後8時から「主の晩餐の夕べのミサ」
翌金曜日4月14日の日没まで。
この日、午後3時から「主の受難の祭儀」です。

第二日:金曜日の日没から土曜日の日没まで。
盛式の典礼を控える日です。ミサはありません。

第三日:土曜日の日没から日曜日の日没まで。
夜、11時30分から「復活の聖なる徹夜祭」です。


「すず風」 三月号(2006年3月3日)

本日も風花(小雪)が舞います・・・
でも、春風タイトー、四旬節。
主は言われるとヨエルの預言。

「今こそ、心からわたしに立ち帰れ。断食し、無き悲しんで
衣を裂くのではなく お前たちの心を引き裂け。」  

古代教会から、四旬節は復活祭に洗礼を受ける人々の最終準備の季節。
今も、カトリック教会はこの伝統を受け継いでいます。
今年、この「森の教会」では、彫刻家の池田宗弘先生ほか
数人が洗礼の秘蹟を受けます。
ほんとうに神さまに立ち帰る心を、私たちもご一緒に捧げましょう!


「すず風」 二月号(2006年2月10日)


光はもう春。きびしい寒さが続きますが、
すこやかに、あたたかく、やさしくお過ごし下さい。
 「鈴木神父は、脳梗塞だ。心筋梗塞かも」という噂が流れました。
ご心配うれしくいただきました。
ええ、確かに、先月半ばのある朝早く、
首や肩が締め付けられる感じがありました。 
早速、久留米の聖マリア病院・循環器内科に受診、
「ある種の狭心症の疑い」という診断です。
   
「つひにゆく道とは聞きしかど昨日けふとは思わざりしを」 
(在原業平)
   
やがては訪れる仁シエの最終段階には、私、まだ至っていないようです。
ご安心下さい。御礼込めてご報告申し上げます。


「すず風」 一月号(2006年1月1日)


あけましておめでとうございます!
今年も、毎日、元気なこころと体で、クリスマスの業を
「祈りの森」で繰り広げましょう!
                 
クリスマスのチャレンジ(無名の詩人)

天使達の歌声も もう聞こえない
空に輝くあの星々は もはや消え失せた
東方の博士たちは 無事ご帰還
羊飼い達は 群れを連れ戻した
その時、クリスマスのまことの業が、始まる
闇にさまよう人々を導き、深手を負った人々を癒し
飢えたホームレスのお腹をあたたかい食べ物で満たし
我執に囚われた人々の心を解放し
崩れた国と町を立て直し
まことの平和の和をひろげ
心から幸ある歌をうたう
これぞ、クリスマスのまことの業

   

「すず風」十二月号(2005年12月24日)


その夜は、ホームレス・・・だから馬小屋。
初々しいご夫婦、心の弾み。胸のたかまり。
飼い葉桶には、生まれたばかりの赤ちゃん。
静かな明るみ、オッパイの匂いかな、あのいのちの香り!
神さまの愛をたくさん預かってきたのね、イエススさま!
その小さな手で、わたしたちのこころをやわらかく包む。
主のご降誕、皆さま、ほんとうによかったぁ。
皆さま、おめでとうございます!

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