主治医のコメント:
今回の体験発表からわかるように、あなたは極めて典型的な教科書通りの経過をたどりました。しかし森田療法の理論については集団精神療法の時間以外にはあまり勉強しませんでしたね。一対一の問診でも私はあなたに森田療法の理論について特に教えていません。自分自身で森田療法を体得したというか、入院生活の経験の中で誰に教えられたわけでもなく、自分自身で森田療法を導き出したと言えましょう。このことからして森田療法というものは普遍的なものであり、森田的生活を送れば誰でも自分自身で森田療法の理念を導き出すことができるものだと思います。
さて症状的にはあなたは対人恐怖症となっています。しかし、吐き気・嘔吐が主症状であり、これは通常普通神経質の症状ということになります。ですから診る先生によっては普通神経質とされる場合もあるでしょう。ところが、場面に着目すると症状発現が対人場面に限られ、自分の体のことを気にするだけでなく、他人の前で緊張するのが強いので対人恐怖症としたわけです。まあ、対人恐怖症と普通神経質の合わさったというか、中間的な症状とも思われます。
体験発表の中身に入りますと、先に述べたとおり、あなたの経過は森田療法として非常に典型的なものと言えます。症状の初発は中学2年生の頃とのことですね。それまではスポーツもできたし何事にも自信があったのに、虫垂炎をきっかけにして当たり前にできていたことが出来なくなっていきました。実は対人恐怖症の人というのは、発症前は他人に対してビクビクしていたというよりも、結構皆の中の人気者であったり、クラス委員をしたりして自信に満ちていた人が多いのです。しかし、自信があったり人気者であったりする反面、実は神経質であるということが多いのです。つまり外見上自信がありそうなようすでも、内面では「他人に良く思われているだろうか?」、「評判が落ちやしないだろうか?」などと絶えずビクビクしていながら生活しているわけです。そういう人が何かをきっかけに自信をなくすと対人恐怖症がおきると言われています。スポーツが得意であったり自信満々に生活していたあなたは、症状の出現を契機に症状に対する予期不安が強くなり、症状が今日もおきるのではないか、明日もおきるのではないかと身構え、その結果「精神交互作用」という悪循環の過程で症状が重症化し、身動きがとれなくなってしまったのです。
激しい絶望感が出て死にたいとまで考える抑うつ状態となりながらも精神科には行かず、これは身体症状であると言い聞かせ、あくまで内科を受診することとなります。これは普通神経質の人によくあることなのですが、他の科に何回も行って検査を受けては異常はないと言われて、そんなはずはないとまた別の病院に行って胃カメラ飲んでみて、などと他科のドクターショッピングを繰り返すのです。あなたが良かったのは、逃げずに症状に向き合ったということで、これは治療意欲につながります。治療意欲とは単に治したい、治りたいと思うだけでなく、治すためには労力をいとわないという心構えです。あなたにはこれがありました。
入院の時期も重要なのですが、ちょうど良い時期だったと思います。内科的にも異常がなく、精神的に治さなければいけないと思ったまさにその時、知人から森田療法を聞き、悩みながらも入院を決意しました。森田療法には「(口卒)啄同時(そったくどうじ)」という言葉があります。これは「孵化の時、雛鳥が卵の中から殻を破って出てくる一方、同時に親鳥も外から殻を突っついて助ける」という意味で、森田療法的には、治療したいという本人の意志と治療すべきという客観的な状況とが同時にあればその時が治療の好機であるということです。あなたにもまさしくその言葉があてはまると思います。
森田療法では臥褥を始めて、最初は安静、次に煩悶、そして退屈という過程で推移するのが教科書的と言われますが、あなたはその通りの経緯をとったと思います。1.2日目はなんとかやり過ごし、3.4.5日目にイライラしたり、疑問を持ち、6.7日目は気合で乗り切りました。普通の生活がしたいと思うようになったのは退屈期の典型的な気分といえるものです。
臥褥の後は草取りをしただけで楽しかったようですが、その後だんだん疑問が出てきて、「草取りなんかしていて役に立つのだろうか?」、「草を1本抜いたら良くなるのか?3本抜いたら3倍良くなるのか?」などと不安になってきます。臥褥後によくある不安ですね。もちろん作業療法とはそういうものではなく、症状に対する関心から現実生活に目を移すことが重要なのです。臥褥後、だんだん不安になってきたり、作業についての疑問も出てくるようになるのは、症状を治したいという気持ちが強すぎるからなのです。退院しようかとも考えたとのことですが、そういう時は「ともかくやってみよう」という姿勢が肝心です。「皆もそれぞれ違う症状を抱えながらも頑張っているのだから、自分もやるだけやってみよう」という気持ちが生まれたとのことですが、この気持ちは森田療法を受ける上では非常に重要なのです。そうしていくうちに少し良くなっていったということですが、それは正しい生活リズムが身についたからであり、本人の言う通りです。不眠症であったとしても睡眠薬でなく昼間の労働により心地よい眠りについていくというのが良いですね。
そこから先があなたの独特のところとなります。だんだん考えるようになりました。症状を見つめる頃になったということです。ともかくやってみようという段階から、正しい生活リズムを得て、症状を見つめるところへ到達していったということです。この症状を見つめるということは、臥褥明け直後でなく一通り作業療法を行った後にその体験を基に考えた方が良いですね。症状を見つめた上での結論は、悩みの元は実は性格的要素から来ているということですね。自己中心的で、欲深、完璧主義という性格は、症状に見舞われると、人の顔色を窺い、失敗が怖いと後ろ向きになってしまうのです。その点を自ら気が付いたところがすばらしい。他人から押し付けられた考えでなく自分自身で見出したことで、その洞察は本物になると思います。私は何も言いませんでしたが、これも「症状不問」と言えるかもしれません。森田療法とは、環境を与えられて自分で見つけていくものだということを実践したわけです。それから次に目的本位、行動本位という姿勢が重要だと自分で気が付いた。そして自らの意志で実行したということですね。
退院2週間前に症状が悪くなったのはむしろ良いことです。避けては通れない道と思い頑張ったとありますが、その通りで、これは「症状が出るのを恐れてはいけない」、「症状が良くなったかを評価してはいけない」、「症状がどうあれ目的本位でやっていく」、「良くなった、悪くなったと判断することは森田的ではない」などと言えます。つまり症状など良くても悪くても関係ないということですね。森田療法的にきわめて良くなった人に話を聞くと、「人に影響されることもあるし、症状もあるかと言われればあるけれどもそれを問題にはしていない。以前と違うのは症状によってあたふたすることなく、普段は症状があるかどうかを忘れている。つまり症状は眼中にない」と言っておりました。こういう態度が良いですね。症状がなくなるのではなく、ある程度慣れるということです。慣れてくると、緊張があっても何とかなってきたという経験から、どうということはなくやるべきことはできる。これを何百回と繰り返すうちに知らない間に前ほど症状がないなと思う日がそのうちやってくるわけです。
あなたも今後、症状に見舞われることもあるでしょう。しかしあってもかまわないのです。症状があってもやるべきことをやっていけば社会人として問題はない。症状が良くても油断せず、症状が悪くても絶望的になるでもなく、やるべきことを淡々ととこなしていく姿勢が大事なんですね。
本日が退院という日になりますが、いつ症状が来てもいいという心構えで、今後とも頑張ってください。
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