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体験発表者: 36歳 男性 うつ病・強迫神経症(雑念恐怖)
体験発表:
入院前
私は、元来、一人になる環境が多く、自然に内向的性格が形成されたと思われます。喘息とアトピー性皮膚炎があったために体が弱く、兄弟がおらず、親は共働きで家にほとんど居ませんでした。部活が無い場合は、家でテレビを見て過ごす時間が多く、さらに、中学時代にはクラスに話を出来る友達が一人もいないという激しいいじめを受け、自分自身の事ばかりを見直し続け、内向的性格に拍車が掛かりました。
この様な状況下で、親が唯一の相談相手でしたが、父親からは「病弱で、親の言うことを聞かない」と叱責され続け、口を開けば、「精神分裂病」などと人格を否定され続けました。逆に、母親は過保護なタイプで、私が困ると何でも相談にのってくれ、唯一の頼みの綱が母でしたが、いつしか必要以上の愚痴をこぼす相手が母となりました。これは親であるために許される行為で、他人に対して同じことを行ったならば、ストレスのはけ口となり、相手に相当な不快感を与えることに私は気付きませんでした。この様にして、相手の気持ちを考えずに愚痴をこぼし、また、言い訳をし、さらに調子が悪いと言って行動しない体質が形成されたと思われます。
私の神経質症状が顕著に現れたのは、大学4年の夏(22歳)、大学院入試の時でした。当時、時代はバブルがはじけ、就職も少なく、もし入試に落ちれば、就職浪人を余儀なくされる状況にありました。そのため、重圧を感じつつ勉強に取り掛かりましたが、自宅の裏手で十戸ほどの住宅建設が始まり、朝から晩までとんかちと木材を切る音がこだまし、常識的に考えても勉強をする環境にありあませんでした。勉強の進捗を騒音が阻害しているのだと感じ、音の無い環境を作ることに意識が集中するようになり、ついには、勉強することが困難となりました。その後、私は常に試験勉強で雑念恐怖に陥ることとなります。卒業試験、薬剤師国家試験が大学4年の最後にありましたが、勉強が始まるとすぐに雑念がわき、それを取り去ろうとすることに気を奪われ、全く試験勉強をすることが出来ませんでした。心療内科や神経科を受診するも、全く効果が得られませんでしたが、親や友人の支えを得て、幸いにして試験に合格することができました。この時期に私の確固たる神経質な症状が形成されました。
大学院卒業後、製薬系企業の研究所で研究職に就きましたが、身の振り構わず仕事をしました。しかし、常に対人恐怖、雑念恐怖、劣等感などに悩まされ、過剰で不規則な労働と相まってうつ症状を周期的に発現し、薬で対処する事ばかりを考えていました。しかし、経験が長くなるにつれ、後に述べるように、苦しくても行動すれば、最終的には自分を楽にすることが多いことに気付き、多少のトラブルはありましたが、社会生活を行うことができました。
結婚後は山登りに熱中し、嫌がる妻を無理やり連れ、日本全国の山に登り続けました。虚しさだけが残る仕事に比べ、努力さえすれば山頂に立てる山登りは、私にとって達成感と充実感を味わえる最良の趣味でした。結婚3年目に子供を授かりますが、仕事と山へ行けないストレスから、気分次第で妻に何かと言いがかりを付けて怒鳴り散らすようになりました。次男の誕生後もこの状態が続き、妻は私のうつに過敏に反応する様になり、言い争いの耐えない現在の状況に至りました。なお、現在、妻も中程度のうつと診断され治療を受けております。
入院後
入院当初、私は森田療法がどの様な治療法であるかを全く知りませんでした。
臥褥の前半はひたすら眠る時を過ごし、中頃は家庭や仕事の不安が頭を過ぎり、今考えてもしょうがないと我慢して天井を見ていました。最後の数日は孤独感を感じる様になり、またそれ以上に、森田療法で自分の病気・症状が治るのだろうかという不安感でいっぱいになりました。臥褥が明けると、どの様な治療が始まるのかという不安で胸がいっぱいになりましたが、どちらかと言えば密閉空間より出られた喜びの方が大きいように思われました。
森田療法を受けている方々と話すと、ごく普通の人であり、どうして入院しているのかが分かりませんでした。しかし、週ミーティングと集団療法で、皆さんがそれぞれ独特なこだわりを持っていることに気付きました。自分も含め、人の心は分からないものだと感じました。農作業は好きでしたので、早く皆さんに合流したいと思いましたが、軽作業期は各種検査もあり、皆さんが行っている掃除や作業の見学のみでした。この頃、一日を非常に長く感じ、早く退院したいと思いましたが、ここで自宅へ戻ってしまったらこれまでと何も変わらないので、期間は考えずにじっくり自分の症状と闘おうと前向きに努力する気持ちが強くありました。そのため、むさぼる様に森田療法関連の本を読み始めました。
森田療法で特徴的な日記は私にとって大きな支えであり、思考と行動を明瞭に記録するものでありました。まだ森田グループ(以下、森田Gと略)の皆さんと馴染んでいない頃、私は、ひたすら自分の考えと行動を日記に書き残し、心のやぼったさを無くし続けました。時には3ページにわたり日記を書き、1ページにまとめる様、お叱りを受けたこともありました。赤ペンで添削して頂いた言葉は簡潔ですが、今の自分にとって最も相応しい努力目標を頂くことができ、症状と闘える最高の環境にあると感じました。起床後、約1週間で頂いた言葉は、“素直に行動しましょう”、“理屈より行動”などでした。
本格的に作業を開始し(重作業期)、私はすぐにこれまで経験した中で最も苦しいうつ状態を経験しました。家庭と仕事の将来に対する不安、現在の環境への適応不安、極度の睡眠不足で記憶が全く出来ず、手が振るえ字を書くことが出来ず、舌が動かず話すことも出来ない状態となりました。メモを取らなければ、自分が何をしていたのかも分からず、何とか今を生きている抜け殻の自分がいました。その状態で私はうつ状態に陥るごく簡単なからくりに気付きました。[睡眠不足→思考回路の停止→記憶力・判断力の低下→仕事・行動が出来ない→劣等感の発生→気分の低下(うつ状態)] このサイクルには短いものと長いものが周期的にあり、力尽きると寝込む事が分かりました。なぜ、今までこの様な簡単なことに気付かなかったのかが信じられないのと同時に、生活リズムの変調がすべての原因だと指摘していた妻を信用していなかった自分を憎みました。この様な自分の普段陥る症状が再現されたことから、私は本心から森田療法を受け入れる気持ちになりました。そのため、治療者の指示に素直に従うよう、努力しました。治療者は、自分で見えていない部分を適切に指摘して下さるからです。また、両親よりも自分を正確に捉えていた妻の言うことを信用していなかった自分を情けなく感じ、大変申し訳ないことをしていたと自己反省を繰り返しました。家庭を壊していたのは自分自身だったことに気付き、悔やみました。
臥褥明け1週間で学習したことは、人間不信が無くなったことと、日記を通して自分の心を素直に表現できることでした。また、自分の症状を治療するのは医師や看護師ではなく、自分自身の努力に寄る所が大きいことを知り、徹底的に自分の症状と闘うことにしました。
臥褥明け2週目になり、薬の助けにより睡眠を十分に取れ、与えられた作業に没頭しました。また、知識を入れるため、あらゆることに興味が沸きました。森田療法関連の本や部屋に飾ってある彫刻の熟語と文章、指導される方々や森田Gの先輩方の話を貪欲に吸収し、即実行に移して心に刻み込みました。この時期に、人間の体に合った規則正しい生活、特に、私の場合、睡眠を十分に取っていれば、行動、意欲、心の状態ならびに食欲は健全に保たれることを実感しました。気分が乗らない時でも行動してしまえば自信につながり、建設的な考え方ができることが分かり、以前からの思いが確信に変わりました。この頃より時間が速く過ぎる様に感じ、充実した日々を送れているという実感が沸きました。
臥褥明け3週目はいかに効率良く作業を進められるかに重点を置きました。完全(本来、物事に完全な状態は無いが)を求めず、人並みのレベルでスピードを付ける事です。何に関してもバランスの問題で、神経質に一部のことにこだわっていると、何事も進みません。しかし、質が悪過ぎても次の行程へは移行できません。自分の中で完成度の80%を目安に、質がそのレベルに達すれば、すぐに他のものに目を配り、総合的にバランスの取れた状態を心掛けました。早くコツを掴みスピードを出す訓練をしました。そうすれば、不安も取り越し苦労も無く、すぐに体と心を作業に集中させることができます。また、早く作業が終われば、心に余裕が生まれ、その結果として頭も澄み、記憶力もアイデアも自然に得ることができます。心の余裕は周りへの気配り、共同作業のまとまりにも発展します。これらは結果として、チーム全体の作業効率を向上させ、自分をも楽にさせることになります。まじめで要領の悪い自分がスピードの速い社会に適応していくためには、ある程度のいい加減さも必要と感じました。チャンスは人生の色々な場面にちりばめられています。せっかくのチャンスも心に余裕が無ければ見落とす可能性があります。スピードを得た私の心はやっと流れ始めました。
入院から1ヶ月が過ぎ、自宅への外泊が許可されました。幾ら行動本位と言っても、苦労を掛けた妻と子供に会うには勇気が必要でした。帰宅し、寝室のドアをゆっくりと開けると3人の笑顔がこちらを向いていて、思わず私もニッコリしました。自然に、子供を抱きしめ、妻に入院させてもらえたことを感謝し、不在中の労をねぎらいました。家中の何もかもが新しく見え、自分が生まれ変わった様に感じました。苦労を掛けた家族に申し訳なく思い、今までよく耐えてくれたと感謝しました。
森田療法を受けた今、私の心は一点のよどみも無い澄んだ川の流れとなり、前に流れ始めました。今後、人間本来の生活リズムを守り、絶えず自己改革の努力を忘れず、前進あるのみの生活を送りたいと思います。随分遠回りしましたが、人生半ばで、ようやく自分の中に確固たる信念と自信を得ることができました。遠回りした分、私の信念は太く強いものと思います。
この様にあるがままの心と行動本位の体を取り戻すことが出来たことにあたり、内山先生、指導員の方をはじめ、病院スタッフの皆様に深謝いたします。また、色々なことを教えて、或いは、気付かせて下さった入院同時期の森田Gメンバーの皆様に感謝いたします。
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主治医の講話:
あなたの入院は約40日の入院でした。森田療法の原法の入院と同じ期間となります。当院での入院期間は3ヶ月余りが標準ですが、一生懸命森田療法を吸収すれば40日でも良くなるということが言えます。今回の体験発表は非常に論理的な文章であり、よくまとまっています。最初に提出してもらった原稿は今回発表の2倍の量はあり、そこからよく要点を整理して要領よくまとめて来たと思います。エンジニアという仕事柄からか、自分自身をよく分析していると思います。
ところであなたの症状はうつ病と強迫神経症の両方がありますね。今日の体験発表では、うつについての部分はあまり述べられていませんが、強迫神経症の方面では雑念恐怖にとらわれているところがよく述べられています。はじめの頃の症状として、騒音により勉強ができなくなったことが描写されています。やらなければいけないと思うと、雑念が入りかえってできなくなってしまうところに強迫症状がよく表われています。
さて今日は性格論について話してみたいと思います。躁うつ病というのは一つの疾患とされています。そのうち、躁状態とうつ状態の双方がある場合を狭義の躁うつ病と言います。うつ状態だけがある場合を、単極性うつ病、または大うつ病と言ったりします。躁うつ病に典型的にみられる性格に「循環気質」というものがあります。循環気質とは、体型は肥満型で、明朗、社交的、人なつっこいという性格です。特に誘因なくうつに陥り易い一方、反対に元気になりすぎることもあります。他方、単極性うつ病に典型的にみられる性格に「執着気質」というものがあります。執着気質とは、几帳面で仕事熱心でまじめ、責任感がある、サラリーマンのお手本のような性格ですね。欧米で「メランコリー親和型」と呼ばれる性格もありますが、執着気質と似たようなものです。執着気質は中高年の男性に多い性格で、仕事上のストレス等環境要因からうつを引き起こしやすい性格です。そして、森田療法の対象となる神経質性格、すなわち「森田神経質」という性格はどういうものかというと、繊細・過敏、完全主義、心配性、かくあるべしが強いといった性格です。細部では微妙に違いますが、森田神経質は執着気質にも似ている部分が多いと思います。さらに言えば、執着気質と森田神経質を兼ね備えた人も多いと思います。あなたの場合も執着気質と森田神経質が合併しています。というわけで、症状のみならず性格からみても、あなたはうつと強迫神経症が合わさったものと思われます。
森田療法はうつ病に対しても適用することができます。その場合、、循環気質より執着気質の人の方がこの療法に合います。つまり、整理して言うと、うつ病に対する森田療法は、
@ 執着気質+森田神経質
A 回復期(自殺念慮とか極度な無気力を除く)
があてはまる場合、適応と思われます。まさしくあなたの場合にも言えることですね。
次に、あなたの入院の経過ですが、臥褥期においては、はじめひたすら眠っていました。臥褥の中頃では、家庭や仕事のことが不安になって来ています。臥褥の最後の方では、「早く臥褥が明けないか」「どんな治療をするのだろうか」「治るのだろうか」と不安になってきましたね。比較的典型的な経過だと思います。臥褥が明けると、「密閉から開放されて良かった」「早く作業をしたい」と思っています。軽作業期では、はやる気持ちを抑えてやっていました。ここまでは順調だったと思います。
ところが、重作業期では、適応不安、睡眠不足に陥り、「これでいいのかと考えるようになった」と言っていますね。『睡眠不足 → 思考回路の低下 → 仕事、行動ができない → 劣等感の発生 → 気分の低下(うつ状態)』という経過をたどっていると言っています。自分の経過を非常によく客観的に分析していると思います。重作業期のつまづきの原因は、自分の睡眠不足、生活リズムの乱れにあると気づきましたね。そこで、睡眠が十分とれるようになると、気分が安定し、建設的な考えができるようになりました。また、行動力がアップして、気分が悪くても動けるようになりました。そういうわけで、入院2週間目は最も苦しいうつの状態であったが、3週間目には再び楽になったということです。自分の中では「完成度の80%を目安にやろう」と思い、そうすることで「多少いい加減でもやれるようになった」と、エンジニアらしく論理的に分析し結論を出しています。これらのことを自分自身で見出していくべきだという事に気づいたのも大きいと思います。
ただし、主治医の立場から言わせてもらうと、たった1ヶ月間の入院ではまだまだわかりません。これから何かあるかもしれないということです。3ヶ月間の入院であったらどうだったでしょうか。その間にどこかで崩れることもあったと思います。「一点のよどみもない」と言っていますが、全て解決できたと思わない方がよろしいと思います。症状はこれからも繰り返すと考えた方がよいでしょう。症状が再発した時に、それにすぐ対応し、いかに症状を小さく抑えていくかとふだんから考えておくことが大切です。
症状の予防法はストレスへの対処のしかたです。ストレスはいやなものです。ストレスから解放されたいと誰しも思います。例えば、南国の孤島のような所ですとストレスが感じられないかもしれません。しかし、人間はストレスがないと伸びません。われわれはハッパをかけられないと、あるいは追い詰められないと、勉強や仕事ができないことを経験します。適当なストレスをみつける事が自分にとって良い結果につながって行きます。職場や家庭に復帰した時、どうしてもストレスが高まります。その時どの様に対処するか。どうストレスを自分でコントロールしていくかが重要です。
行動については、「80%主義で行く」とあなたの体験記の主旨としてありました。しかし、さらに気分についても「80%で行く」ことが良いと思います。「100%よどみない状態」を求める気持ちだと、結局100%の状態で残業したりする事になり、行き過ぎとなる恐れがあります。そこで、気分も80%を目指すといいと思います。つまり80%の満足です。そしてさらに、家族にも苦労をかけたと言っていますね。家族に対しての要求も80%にとどめる必要があります。行動も気分も家族への対応も、全てに対して80%でやって行く、ほどほどにやるのがいいでしょう。
しかしそのうち、そうしてやっていくうちに、やがて80%を割ることになることもあるかもしれません。ともすると何もできなくなり、0となることもあるかもしれません。その時は、そこからまた20%、30%へと階段を登り、また80%を目指してもらえばいいのです。
あなたの森田療法の入院は、短期間で効率よく吸収してもらったという感じです。これを生かして退院後も頑張ってください。
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