体験発表



第55回体験発表
茶話会  メニュー:
        ピザ風お好み焼き
        フルーツゼリー
        水かけ菜
        ウーロン茶

   36歳 男性  公務員    
   
   抑うつ神経症
 

体験発表

主訴
・抑うつ気分、出勤に対する不安感
・抗うつ薬、抗不安薬の服用に伴う視機能低下等の副作用の発生(事務職執務への支障)に対するこだわり(神経症)
幼少時から現在に至る性格的傾向
 幼稚園の修了3ヶ月前、父親の仕事の関係で県外より転居してから、幼稚園・小学校低学年にかけて友達が作れず、女子児童のいじめの対象にもなっていました。心身を鍛えようと習い始めた柔道教室においても、初めての大会の試合で、初戦いきなり背負い投げで投げ飛ばされて、口から泡を吹きながら気絶した後、「実は、僕、心臓が弱いんです。」などと虚言を言っていたようです。当時から既に、困難から逃避するという行動が始まっており、元来の神経質な性格に加えて、困難逃避の性向が成長過程における私の人格形成に大きく影響したのではないかと考えています。
私の心身に関する既往症について
 私の心身に関する既往症は、幼児期の「アレルギー性鼻炎」(現在まで)に始まり、高校3年生からの「胃・十二指腸潰瘍」(31歳時ピロリ菌除菌にて完治)は、大学入学、公務員就職、職場異動など5回、環境や業務内容が変更される度に発症し、心療内科の医師からは「教科書に出てくるような典型的な心身症の症例だ」と言われたこともありました。
 こころの病が気になりだしたのは、31歳頃、公用車運転中に動悸・不安感を感じるようになったときからで、次第に実家からの通勤も辛く感じるようになりました。「胃・十二指腸潰瘍」の治療で通院していた総合病院内科を受診して、「軽度のうつ状態だろう」と診断され、軽い抗不安薬を処方していただきましたが、薬効なく、専門医の受診を薦められ、心療内科を受診し、当初は「自律神経失調症」との診断で治療が始まりました。
 その後も、普通電車に乗るのが苦痛(パニック様発作?)になり、早く通勤の行き帰りをやり過ごしたいと思うようになったことから、特急電車通勤に代えてみましたが、症状は、段々重くなるようになるばかりでした。
 32歳時、職員研修を終え、午後5時より通常業務を行おうと、パソコンの電源を入れ、いざ、仕事を始めようとしたら、突然パソコンのキーボードが打てなくなり、まるでパソコンがフリーズした状態みたいに、何も仕事に手がつかない状態となってしまいました。
 その後、この症状について主治医に相談し、入院加療が必要だろうとの判断から、隣県にある内科専門病院の心療内科を紹介され、「パニック障害」と診断されました。ここで、今までの病歴を申告したら、教科書に出てきそうな典型的な心身症だと言われました。2ヶ月半ほど入院加療し、引き続き、2ヶ月半ほど自宅休養を行ってから、試し出勤を経て、正式に仕事に復帰しました。 その後は、定期的に、症状の悪化時には随時に、自家用車で2時間ほどかけて、同病院を受診していました。
 しかし、33歳時、職場配置換えとなりました。確かに異動希望としていた地区には異動したのですが、初めて業務だったため、出勤2日目から職場不適応の不安が高まり、出勤できなくなりました。傷病休暇を使って、休暇から徐々に出勤時間を増やして、1ヶ月半後にようやく完全な形で出勤できるようになりました。しかし、新しい業務の苦手意識から抜け出すことはできず、徐々に仕事が出来るようになっても、職場で冷たく扱われている印象(転任早々長期にわたり休暇を取ったのだから、当然のことではありますが、)が抜けきらない意識もあって、職場不適応の不安意識は、常在していました。
 34歳時、以前より続いていた職場内での不和・職場不適応による不安の高まりからか、「希死観念」はそれほど強く感じていなかったと意識していますが、二度にわたり、1週間分の服用量の睡眠薬をまとめて服用しました。薬の服用量が致死量に至らないことは、自分でも認識しており、「楽に眠りたい・休みたい」→「その結果死んでも構わない」という、自殺への未必の故意はあったかもしれません。2回目の睡眠薬多量服用のとき、なかなか目を覚まさない私を見た両親が不審に思い、無理やり主治医のところへ受診させました。そこで初めて「睡眠薬多量服用で自殺を図った」旨を自訴しました。その主治医は、「自宅での休養で十分」、「入院の必要はない」、「そこまできつい思いをしてまで、今の職場にいる必要はない。仕事を辞めたらどうか」と言われ、同じことは、職場の上司にも報告しました。しかし私は、「入院の必要はない」、「仕事を辞めたらどうか」と言われたことで、非常に混乱し、「どこでも良いから入院したい」と思うようになり、精神科病院の開放病棟に、約3ヶ月任意入院しました(2回目の入院)。退院後も引き続き同病院を定期的に受診していましたが、主治医が県外の病院へ転職することとなったため、主治医の薦めもあって、36歳時、メンタルクリニックに転医しました。
入院に至る経緯(直近のもの)
 私は、うつ症状の悪化に伴い、メンタルクリニックに転医して2ヶ月後より職場を休んでいましたが、短期間の自宅休養では抑うつ状態が改善せず、また、勤務先の上司からも「完全に症状を治してから出勤した方が良いのでは」との提案もありました。
 そこで、以前に2年ほど前に入院した病院の主治医から「次回入院するようなことがあれば、君には『森田療法』が向いているかも知れない」と言われたことを思い出しました。インターネットの検索サイトで、「森田療法」and「病院」のキーワードで検索し、一番最初に出てきた医療機関のホームページが、「三島森田病院」であったこと、また、その治療や作業内容の説明も充実していたこと等から、三島森田病院への入院を決意し、メンタルクリニックの医師に対して、三島森田病院(森田療法)にて入院加療したい旨を話して紹介状を書いていただき、入院森田療法を受けることになりました。こころの病が主訴で入院するのは、今回が3回目になります。
三島森田病院(森田療法)に入院して
 入院当初いただいた入院計画書では、「3〜4ヶ月の入院加療」となっていたので、いままでの入院経験から、約3ヶ月で退院できるだろうと思っていましたが、自分の予想を超えて、夏から冬にかけて、三島森田病院にて入院森田療法を経験することになりました。しかし、入院生活を振り返ると、真夏の猛暑の中の収穫などの作業や、冬の土ふるい作業などの農作業をはじめとして、様々なことを経験でき、結果としては良かったのではないかと考えています。
(1) 臥褥期
 臥褥期は、「絶対臥褥」とも言われるように、1週間個室で過ごし、洗面・食事・排泄以外は、終日、ベッドの蒲団の中で、安静に寝ていなければなりません。症状に直面し、受容する態度を形成し、作業療法をスムーズに移行させる効用があるとされています。
 しかし、私の場合は、仕事を休み始めてから、三島森田病院への入院に至るまでに、自宅で休養していた時期が3ヶ月ほどあり、抑うつ症状も落ち着いていたせいか、臥褥期において、いわゆる「煩悶」「退屈」の状態は、ほとんど起こりませんでした。
 ただ、日中もカーテンを閉め、テレビ・ラジオ・新聞などもない状態で、外部との接触を遮断されている状態でしたので、退屈な時には「食べたいもの」のことなどを空想したりしていました。自分の症状に向き合い、今後どう生きるのか等を考えなかったことが、今から思えば、反省すべき点で、もったいない臥褥期の過ごし方をしたなと考えている次第です。
(2) 軽作業期〜重作業期
 臥褥明けから始まる「軽作業期」の3日間、それに続く「重作業期」については、当初、心身ともに、特に問題なく、過ごすことが出来ました。最初のうちは、新米患者として、朝・夕の個人作業、そして、午前・午後の共同作業は、指導を受ける立場でしたが、入院1ヶ月が経過し、森田療法のサブリーダー、そしてリーダーを任されるようになり、今度は、後から入ってくる患者の方に、今度は逆に仕事を指導する立場になりました。朝・夕の個人作業や共同作業についても、自分で改善できる点は少しずつ改良していき、それを指導や改善提案に生かすよう努めてきたつもりです。
 ただ、入院半月から3ヶ月目くらいにかけては、入眠困難な状態があったり、逆に、目覚めが早かったり、夜疲れて早く入眠してしまい、森田療法に欠かせない日記の記載が、翌朝の〆切ギリギリに記載し、提出したりする等のことはありました。
 しかし、入院して3ヶ月を過ぎた頃から、それまで、農作業の疲れから、肩・腰・背中・手指などの全身に筋肉痛を自覚する程度だったものが、心身の調子(特にメンタル面)が落ちてくるように自覚するようになりました。民間エアラインの飛行高度で例えると、今まで順調に巡航高度を飛行していたものが、突然、機体の不調で低空飛行を何とか維持しているような状態に陥ったみたいでした。その後も、多少の上下動はありますが、総じて巡航高度まで上昇せず、低空飛行が続いていたように思います。
 自分では、それまで入院生活にそれほど不安・ストレスを感じていなかったものが、一般生活のレベルまでは至らないまでも、徐々に若干の不安・ストレスを感じるようになってきたのでは考えています。
 そう考える理由の1つが、今までの2回の心療内科ないし精神科の入院では、アレルギー性鼻炎の症状が全く起こらなかったのですが、入院3ヶ月後よりたびたび軽度ではありますが、出現していることです。
 また、私が茶話会での体験発表を行うこと、入院6ヶ月(休職期間切れ)迄には退院見込みであること旨内示を受けてからも、「体験発表が作成できるだろうか?退院して、無事復職できるだろうか?」という不安に駆られました。
 そこで、入院5ヵ月後、いざ体験発表を作成しようとしてみると、今まで、自分自身の症状のこと等にきちんと向き合っていなかったことに気が付き、ちょうど、その頃、心身ともに調子も、どん底の状態であったことから、内山先生の問診の際に、もう一度、臥褥体験し、(a)自分自身の症状のこと、(b) 幼少時から現在に至る性格的傾向、などについて自分自身と向き合ってみて、今後の糧にしたい。そして、その成果を体験発表にまとめたい旨を申し出たところ、先生から、共同作業などに影響の少ない、金曜日の17:00から月曜日の07:00までの「小臥褥」を提案され、私は、これに挑戦することにしました。
(3) プチ臥褥
 入院5ヶ月後の金曜日の17:00から月曜日の07:00まで、3泊4日とは言っても、実質は2日間の「プチ臥褥」(私の造語です)に入りました。
本当の臥褥では、一切の筆記具、ノートの類の持ち込みは、禁止されますが、今回のプチ臥褥では、(a)私の体験発表の作成の参考にするということ、(b) 自分自身の症状や幼少時から現在に至る性格的傾向などに向き合って、その成果を今後の生活改善に生かすこと、という目的もあり、筆記具、ノートの類の持ち込みは許可されましたが、あとは日程が短いことを除けば、本当の臥褥期と同じ状態でした。
 金曜日の夜から翌朝土曜日の朝食までは、良く眠りました。その後も1時間程度仮眠しましたが、その後、一気に、体験発表の骨子の体系を箇条書きに書き上げました。昼食後、また、1時間程度仮眠しましたが、その後、幼少時から現在に至る性格的傾向について書き上げました。予定より早く、資料が出来上がったので、本当は、早くパソコンで体験発表を入力したかったのですが、「プチ臥褥」とは言え、それが許可される訳はなく、それからは、仕方なく、ぐっすり睡眠を取りました。翌日の日曜日も、ノートにメモするような事項は思い浮かばず、食事時を除いては、概ね床に入っていました。しかし、なかなか寝付けず、「通常の日曜日であれば、外出許可をいただいて、いろんな事が出来ただろうな?」と思い至り、変な着眼点と思われるかもしれませんが、いままで、無為無策で過ごすことの多かった私の人生を大いに反省し、このことで、逆に「一日一日を大切に過ごすこと」の重要性を痛感しました。
(4)プチ臥褥が明けて
 プチ臥褥が明け、臥褥室を清掃し、朝食を食べた後、シャワー浴を済ませた後、通常どおり、重作業期と同じく、8:15の共同作業の打合せに参加し、9時より共同作業に参加しました。その後も、今日現在まで、通常どおりの森田療法の作業を続けています。プチ臥褥が明けて、自分の性格が変わったとか、人生観が変わったということはないと思います。
 しかし、プチ臥褥を経た現在、当初の臥褥期には得られなかった、(a)自分自身の症状や幼少時から現在に至る性格的傾向など向き合う体験を得たこと、(b) 「一日一日を大切に過ごすこと」の重要性を痛感したこと、が成果として挙げられると思います。
 このような経験は、入院当初いただいた入院計画書に基づく、3〜4ヶ月の入院加療では、得られなかった体験であり、今となっては、長期の入院に至ったことを感謝しております。
将来への展望
 31歳頃に、メンタルな面で症状が表れるようになって5年余りが経過し、入院前の主治医からも「どちらかと言うと、難治性のうつ病ですね」と言われる状態でしたので、正直言って一般の方々が行っているような普通の生活は、もう営めないのではないか?と人生を半ば諦めていた部分もありましたが、うつの症状を何とかして治療したいと、諦めがつかないまま過ごしてきました。
 しかし、運良く、三島森田病院の入院森田療法と出会って、森田療法に基づく規則正しい生活を送るようになってから、少しずつ自分自身が変わってきたように思います。またまだ、道半ばですが、これからは、入院森田療法で得た様々な果実を生かしながら、現実の困難や様々な心身症状から逃避せず、神経質と自分との折り合いをつけながら、前向きに、仕事や日常生活を行っていきたいと思います。
 内山先生や指導員、病棟師長をはじめとする看護スタッフの皆さん、それから一緒に入院生活を過ごしてきた入院森田療法の患者の皆さん、入院以来の約5ヶ月間、本当にありがとうございました。退院までの約20日間、まだお世話になりますが、皆さん、よろしくお願いします。

主治医のコメント
 長い話ご苦労様でした。今回の発表時間は今計ったところで27分10秒でした。55回茶話会をしていますが、これまでの最高が13分ほどでしたので体験発表時間の最長記録となります。OHPを使ったのも初めてで、創意工夫があり、自分の体験を知ってもらいたいという意欲の現れだと思います。
 内容は論文のような感じでまとめられていて力作ですね。現病歴を述べていく中で、いろいろな診断名が出て来ています。それを挙げて行くと、アレルギー性鼻炎、十二指腸潰瘍、心身症、自律神経失調症、パニック障害、難治性うつ病とあります。あなたはこれらの病名を言われた時、どう思われましたか?
 <患者>「内心、僕は自律神経失調症だと思っていました。あとは心身症とか、十二指腸潰瘍とか ありましたので…。パニック障害の時は、最初に入院した医師からは症状は有るがパニック障害ではないと言われていました。というのは、地元は単線で時間がかかるので、私はできるだけ早く乗り継ぎたいという気持ちがあったので、各駅電車でなく特急電車に乗っていたんです。だからパニック障害ではないと言われました。後で診断名が心因反応と変わって来ていますが、当初はパニック障害でした」
 今のお話だと、特急電車に乗っているからパニック障害ではなく、各駅電車に乗っているからパニック障害と言っているようですね。パニック障害を起こした時、特急電車だと駅間距離が長くなかなか停まらないのでこわいから各駅電車を選ぶということなんですね。それは直ぐ降りて誰かに助けを求められるからです。しかし実際はいろいろです。早く着くから新幹線の方がいいと言う人もいる。他方、各駅電車でないとイヤだと言う人もいます。パニック障害の症状も人それぞれ千差万別でして、特急電車がいいという場合も各駅電車がいいという場合も両方あるのです。さて、あなたの場合、全体的にはパニック症状はごく一部のエピソードであり、パニック発作が1回起こったとしても、総合的にはパニック障害という病気ではないと思われます。
 では、あなたが診断されたそれぞれの疾患を解説しましょう。心身症とは、簡単にいうと心理的、精神的要因による内科病変です。内科的に異常があると言うからには、レントゲン写真の異常所見とか、十二指腸潰瘍では胃カメラで覗いて胃の壁が溶けているという状態があるわけです。心身症の一つである喘息では、気管支が狭窄しています。ただ、典型的な心身症の人は、神経症と違い症状を隠して表に現さないのが普通です。つまり、苦しいと症状を訴えない性格の方が普通で、それで我慢をしていくうちに内科的病変に侵されて行く。そのうちに我慢できなくなり、はじめて痛みを訴えるようになるわけです。あなたの場合は、最初から症状をよく訴える傾向がありますから、神経症的であり、心身症とは性格要素が違いますね。
 自律神経失調症とは、狭義の意味では、例えば、冷汗、動悸のような自律神経症状が、環境的要素に関係なくおこるというもので、比較的少ないです。広義の意味では、ほぼ神経症という意味です。内科系医師は神経症のことを「自律神経失調症」と呼んでいることが多いようです。
 パニック障害は、神経症の一種で、動悸、呼吸困難感、めまい感が主症状です。これは感覚の異常であり、実際に呼吸困難やめまいがおきているわけではありません。これらの症状がだいたい30分から1時間くらいの間、発作的におこります。森田療法では、「発作性神経症」と言います。パニック障害というのは、1980年代頃から一般的に使われてきた診断名ですが、発作性神経症とほぼ同じ意味で使われています。森田正馬は全世界的な診断基準ができる60年以上も前に一つの疾患としての概念を捉えていたわけで、その知見は卓越していたと言えましょう。さてあなたの場合は、先程述べたとおり、パニック発作は一時的な随伴的な症状と言えましょう。
 難治性うつ病は、薬物療法がなかなか奏効せず症状が長引く場合を言います。あなたの場合は、抗うつ剤が効かないわけでもなく、うつ状態が長期間続いているわけではないので、難治性うつ病には当てはまらないものと思われます。こうしてみるとこれまでの診断名のどれも少し当たっていますが、どれも本質的なものではないと思います。
 では何かというと、私は「抑うつ神経症」と考えていいのではないかと思います。抑うつ神経症とは何かというと、「神経症性うつ病」と同じ意味ですね。名前がひっくり返っていますから、うつと言っても良いし神経症と言ってもよい。どちらかというと、うつに入れるのが主流だと思います。やはり、薬物療法として抗うつ剤を使うものですから、分類上この方が良いのではないかと。ただ、現実的な問題は「うつ」か「神経症」かということではなく、両方の特徴を兼ね備えているということです。
 抑うつ神経症の特徴は、典型的なうつ病(内因性うつ病)とどう違うのかという風に考えてもらえればいいのです。抑うつ神経症と内因性うつ病の共通する症状としては、抑うつ気分、意欲低下があります。内因性うつ病にだけあり、抑うつ神経症にない症状は、罪責感、妄想、日内変動、思考制止(考えが止まってしまう)などです。思考制止というのは内因性うつ病の大きな特徴で、これがもっと悪化すると昏迷となります。抑うつ神経症に多く、内因性うつ病に少ない症状としては、種々の身体不定愁訴症状が挙げられます。たとえば頭痛、肩凝り、腰痛などです。これは、もともとその人にある身体症状が、うつになると増強されて感じられるものというものです。整形外科を受診する人のうち、1/4程度はうつ病をはじめとする精神疾患を合併しているとも言われます。レントゲン写真で微小な病変でもうつ病の場合は痛く感じるわけです。身体症状を増強する傾向が抑うつ神経症にはあるということです。抑うつ神経症に多く、内因性うつ病に少ないもう一つの特徴は、神経質性格です。
 こうしてみると、あなたには抑うつ神経症という診断が合っていると思います。あなたの場合、どういう流れで症状が形成されてきたか森田療法的に考えると、もともと神経質という基盤があり、繊細、過敏、心気という傾向があったというのが原点です。心気とは森田正馬のいう「ヒポコンドリー性基調」で、自分の体を重要視する性格です。例えば、戦争へ行き帰って来た人などで、どこか傷を負って雨の日にズキズキ痛むが、普段は症状を気にしていない人がいます。これとは反対に、ヒポコンドリーの強い人は、風邪をひいたら直ぐ騒ぐという傾向があります。ヒポコンドリー基調というのは森田神経質の主要な特徴で、森田療法を行う人は大体これを持っており、あなたの場合もこれが強いと思われます。
 こうした土台があった上で、転勤等が重なるといった環境負荷により心身症となったのではないかと思います。例えば、十二指腸潰瘍となった。そこで、実際に内科症状もあるので心気症になった。これが強いと体のことをあちこち考えるという身体不定愁訴となり、そしてついに抑うつになってきたのではないかと考えられます。まさしく神経質を土台としていることで、森田療法の対象になるのではないかと思います。ここら辺のところを、つまり「心身症から心気症へ」そして「心気症から抑うつへ」という流れを断ち切るというのが森田療法の役割ということになりますね。
 私が思うに、あなたのアレルギー性鼻炎は心身症というより神経症的と思います。本人から最近アレルギー性鼻炎が強いのはどういうわけかという質問がありました。入院し3ヶ月経った時、体調が落ちてきてヒポコンドリーが起きていたのではないか。だから、ちょっとした事を気にする様になって来てしまったのではないか。つまり、自分の調子が悪いと思うと、益々具合が悪くなるという悪循環で心気的になってきたのでないかと思います。そういう悪循環に対して森田療法が有効なわけです。
 さて、あなたの入院経過をみますと、最初のうちは勢いよく行動して効果が出たが、入院3ヶ月後くらいから調子が悪くなり、元の悪い癖が出てしまいました。そこで、「プチ臥褥」をして態勢を建て直し、もう一度森田療法の原点に立ち返って行動することを学び直したということです。症状に目を向けるのではなく、身体の症状があってもそれをあるがままに捉えて目的本位に行動するという事を思い出してもらいたいという目的で行ったわけですね。その後、心身すがすがしい気持ちで一日一日を大事にという気持ちが生まれました。だから、プチ臥褥が終わった今が第二の森田療法として、もう一度初心に返ってやってもらえれば良いのではないかと思います。
 全体的にみてこの発表は、非常にユニークで個性溢れる発表で創意工夫というかオリジナリティで良かったと思います。これを機にもう一度、「症状あるがままに」という原点に立ち返りながら、残り1ヶ月間しっかり森田療法をやってもらいたいと願っています。