体験発表


第58回体験発表-1
 茶話会メニュー:ヤマイモのガレット
         ひじきサラダ添え
         フルーツミルク寒天
          (イチゴ・キウイ)
         

        

    39歳 女性  主婦

    強迫神経症(強迫性障害)
           
体験発表

 私が初めて発病したのは14歳の時でした。手が汚れている感じがして、いつも手ばかり洗っていました。近くの大学病院に通い、薬とカウンセリングにより数ヶ月間で症状が納まりました。それからはそれまでとは違ういろいろな小さな症状が出ました。しかし生活は出来ていたし、人に言ってもわかってもらえないと思い、親にも言えませんでした。
 22歳の時に結婚し、2年間くらいは時々症状に悩む程度で生活が出来ていたのですが、ある朝起きたら突然手が汚れている感じがして、何度も何度も手を洗い始めました。それからは次から次へと今までになかった症状が出て来ました。ちょうどその時2人目を妊娠中でしたが、相談してみようと病院へ行ったら、「妊娠していて薬も飲めないし、何も出来ないよ。あなたみたいな人の病名、強迫神経症って言うんだよ」とあっさり言われました。私はあまりにも淡々とした先生の態度にショックを受けたのと同時に、自分が強迫神経症という病気だと言う事を初めて知りました。

 うつ病にもなりました。それはいきなりやってきた感じでした。朝は決まって早朝に目が覚め、口では言い表せない程の嫌な気分になる。昼間横になっても眠れない、誰かがそばにいないと怖い、動悸がする、気力がない、死にたくて死にたくて仕方ない。しかし自分で起き上がる気力がないため死にたくても手を加えられず、看病に来ていた母親に何度も殺してくれと頼みました。主人もあまりのひどさにびっくりし、すぐに病院へ行きました。
 先生にうつ病と診断され入院の話も出ましたが、私はそれだけは嫌だったので断りました。そして実家へ戻る事になり薬を飲みながら療養する事になりました。薬を飲み始めて2ヶ月目くらいから、徐々に動けるようになりましたが、感情もない味覚もないといった毎日でした。しかし症状の重さのわりには思いの他順調に良くなり、8ヶ月で完治しました。

 うつの間は不思議と強迫症状は軽かったのですが、うつが治った途端また元の様に強く出てきました。ハイターが恐くて使えない。お水と間違えて使ったら大変なことになると思い、子供が乳児の時でお腹をすかして泣いているにもかかわらず、ミルクを作っては捨てるを繰り返し、なかなかミルクが作れず自分も泣きたくなりました。料理をしていても「ハイターを入れてしまったかも…?」と気になり、出来上がったおかずを捨てた事も何度もありました。
 そのうち特に水銀、シラミ、糞が恐くなり、「お店で売っている物がそれらだったらどうしよう?それらを買ってしまったかも知れない」と思い始め、買った物を全部捨ててしまったり、同じ物をいくつも買う様になってしまいました。そしてだんだん恐くて買い物に行けなくなり、少し頑張って行ってみようと行っても、水銀、シラミ、糞を取っていないか、店員さんに「水銀下さい」などと言ってやしないかと自分の話している言葉にも自信がなくなり、店員さんとまともに話せなくなりました。買った物についても心配になり、何度も返品や交換をしました。何をするのにも自信がなく怖くなり、行動がかなり制限され、3人目を妊娠している時は家事が全く出来なくなりました。

 今度は違う病院へ行ってみたところ、お薬は出してくれましたが、「飲まないのがベストなのでお守り代わりに持っているように」と言われました。毎日何もせずボーッとしているだけの毎日で、自分が何をしたいのか生きている意味もわからなくなりました。私が何も出来ないため、主人が会社に通いながら、朝ご飯、子供のお弁当、夜ご飯、洗濯など全部やってくれました。とても自分が情けなかったのを覚えています。
 気分的には「死にたいけど死にたくない…」そんな気持ちは数えきれない程ありました。複雑な気持ちの中でオーバードラッグもやり、救急車で運ばれた事もありました。「半分死にたい。でも恐い。でもこのまましばらく目が覚めたくない」という思いからでした。

 4年くらい前からほんの少しですが症状が良くなりましたが、悪くなると寝込んでばかりいました。しかしこんな母親でも必要としてくれる3人の子供がいたからどうにかやってこれたのだと思います。
 そんな時主人が「入院してみたら?」と突然言ってきました。私は前から森田療法に興味があり、生活の発見会の体験に行ったり、本も何冊か読んでいて自分で納得するものがありました。私は何度も「入院したい」と言っていましたが、「子供がいるし実際問題無理だろう」といつも言っていた主人からの意外な提案にびっくりしました。症状がひどく生活が乱れてきた私を見ての判断だったと思います。話が決まってからすぐ主治医の先生に相談したところ、こちらの三島森田病院を紹介してもらいました。

 すぐに入院は決まってとても嬉しかったのですが、弱虫な私が臥褥期間を耐えられるかが一番不安でした。しかし、自分の中でこれが自分との一歩目の戦いだと思い、意地でもやり通すと心に決めました。
 実際臥褥に入り、始めの2日間はゆっくり休め、よく眠れました。臥褥半ばはだんだん眠れなくなり、時計ばかりを見ていましたが、思っていた程苦痛ではありませんでした。後半2日間はなかなか眠れずとてもきつく感じましたが、どうにか予定通り1週間臥褥が出来ました。私の小さな自信になりました。

 森田療法の生活を始めてみると、今まで自分が過ごしてきた生活とはかなり違い、規則正しいのにびっくりしました。家では症状が出たらそれで頭がいっぱいになってしまい、寝込んで何も出来なくなります。しかしここではそういう訳にはいきませんでした。気分がどうであれ、症状があっても決まった仕事はやるしかありません。
 しかし不思議とその間はあまり症状が出る事はありませんでした。そして草取り、畑仕事が始まりました。虫のキライな私は家で草取りなどやった事がありませんでした。だが始めてしまうと結構真剣にやっている自分がいました。そして畑仕事、もちろんやった事もなく、興味もなかったのでとても不安でした。畑で使っている言葉も全く通じず、この先どうなっていくのかと思いました。そしてこの畑では牛糞を使っている事を知り、糞の恐い私にはかなりショックでした。牛糞を見ることも出来なかった私ですが、仕事なので仕方なくバケツを使って牛糞をまいたり運んだりしました。

 ある日指導員の方にほうれん草を一口いただき、生で食べました。そうしたら今までに食べた事のなかった程甘くとてもおいしく、とても感動しました。でもよく考えると牛糞を使って育ったほうれん草です。恐い気持ちになると思ったのに、意外とそれを食べれた自分がすごく嬉しかったです。今でも決して平気で牛糞だけを触る事は出来ないですが、それからは考え方がかなり変わりました。その時から牛糞の混ざっている土に出来ている野菜を素手で収穫出来る様になりました。私には大きな進歩です。自分でもびっくりしているくらいです。
 畑仕事に関してもしばらくは指示された事だけをやり、難しそうな事は出来ないと決めつけ、手を出さなかった私ですが、最近は自ら野菜を作る過程を始めから最後まで覚えたいと思うようになり、興味も出て来て下手ながらも挑戦するようになりました。
 またリーダーやサブリーダーがまわってくるのが不安でした。人の上に立つ、人に指示するのが大の苦手な私はやる前から苦痛でしたが、決まりなので仕方ありません。しかしやってみるとまわりの方がとても親切に教えてくれたので少しずつですが、仕事もわかるようになり、「自分にも出来るんだ!」と感じました。

 最後になりますが、森田病院に入院して私なりにたくさんの事を収穫しました。集団生活の楽しさ難しさ、苦手な事もやってみれば出来るという事。まだ完璧ではないですが、症状が出てもやるべき事はやると気分がしだいに変わっていく事などまだたくさんあります。

 私が悩んで落ち込んで毎日泣いていた時もかなり助けられましたし、それだけでなく厳しい指導もして頂き、とても自分のためになりました。弱虫な私ですが、少しだけ強くなる事も出来、人生勉強もさせて頂いた感じです。
 この様に少しずつ変われたのも先生はじめ、まわりの方々の温かい支えがあったからだと心から感謝します。森田病院に入院した事でとても自分にプラスになったと思っています。皆様本当にありがとうございました。

内山先生の講話

 まず、強迫神経症の症状について簡単に復習しますと、「不潔恐怖」、「確認癖」、「不完全恐怖」、「雑念恐怖」、「縁起恐怖」、「加害恐怖」等、たくさんあります。症状は各々違うので、名前をつければ教科書に載っているだけでも20くらいは例を挙げられるくらいです。
 今回のあなたの症状―たとえばいろんなものが便に見えてしまうというのも典型的な強迫症状だと思います。あなたは、強迫症状が非常に長引き、うつ病のようになったということですが、前回のパニック障害とうつ病の関係同様、強迫神経症とうつ病もかなり合併率の高い病態です。強迫症状が辛いからうつ病になっていくのか、それとも元々うつ病と合併するのか判別は難しいところですが、強迫神経症だけの人も多く、SSRIという共通の治療薬があることを考えると、後者の可能性が高いと思います。
 強迫神経症の症状の内容は人それぞれに異なります。あなたの症状は牛糞など汚れた物を嫌う不潔恐怖と、水銀など危険物を購入していやしないかとかウンチと店員に言ってやしないかと気になるなどの確認癖です。症状の内容は個性的ですが、症状のこだわり方、悩み方は典型的な強迫神経症と言えましょう。

 ここで、「強迫」について少し付け加えると、「強迫」の代表は強迫神経症ですが、最近では「強迫スペクトラム性障害」というのが話題になっています。言い換えれば強迫近縁症状、つまり強迫に近い状態のことですが、どんなものがあるかというと、まず一番知られているのが「摂食障害」です。
 この摂食障害が強迫行動に似ているというのは注目すべき点で、特に「過食症」は食べることに対する強迫的な恐怖感があるのだと考えられ、過去には摂食障害の人に対して森田療法が行われたこともあります。
 その他には「自閉症」、「抜毛癖」、各種の依存症などがあります。自閉症の中には手洗いを繰り返すケースがあり、抜毛癖は子供に良く見られる強迫的に毛を抜いてばかりいるという症状です。
 依存症で最近多いのは、男性ではパチンコ・競馬等の「ギャンブル依存」、女性では「買い物依存」です。
 それから「境界性人格障害」、「反社会性人格障害」等の人格障害も強迫神経症と近縁です。まだまだいっぱいあるのですが、これらが強迫神経症と合併する場合もときどきありますし、また治療として共通する部分もあるのではないかと言われています。例えば摂食障害では、薬物療法の第一選択としてSSRIが使われることが多いのですが、強迫症状があるのがその根拠の一つとなっています。

 さて、あなたの発表を聞くと、森田療法的にどのように良くなっていったのかが分かります。最初は臥褥に耐えられるか不安だったが、最終的には思っていたよりは苦痛ではなかったと言っています。これはいわゆる『恐怖突入』ですね。
 次に、畑仕事から帰ってきた時に「症状があっても、決まった仕事はやるしかありません」と言っていますが、これはその通りで、自宅にいるとどうしても症状に負けて寝込んで終わってしまうわけですが、開き直ってやるしかないと思うと意外にできるものです。いわば『背水の陣』ですね。
 そして、「しかしその間は不思議と症状が出ることはありませんでした」と続きますが、目的本位に作業に向かっていると神経症症状が出にくいという、まさしく森田療法の極意を表す言葉です。その際、不潔恐怖で牛糞が嫌いなあなたが「見ることも出来なかった私ですが、仕事なので仕方なく、バケツを使って牛糞を撒いたり、運んだり」と言っていますが、この「仕事なのでやるしかない」というのが非常に素晴らしいですね。
 神経症ではなくても誰もが仕事だから仕方ないと思ってやっている部分があるのですが、神経症の人は症状に負けて何事も出来ないと思ってしまっているので、そこをぐっと耐えて症状はあるがままに受け入れ、ひたすら行動してみるという心理でやればいいわけです。「仕事なので仕方なくやるしかない」という気持ちで続けていくうちに、しばらくは指示されたことだけをやっていたあなたが、最後の方は「下手ながらも挑戦するようになりました」と言っています。素晴らしいことですね。

 リーダーについても同様です。人前に出るのは嫌いだと言っていましたが、「みんながとても親切に教えてくれたので、少しずつですが仕事も分かるようになり、自分にも出来るんだと思いました」と変化しました。
 この「自分にも出来る」という感覚が大事です。神経症の人は取り越し苦労、つまり心配性の部分が強くて自分では出来ないと悲観しているのですが、能力的には元々高いので、実際にやってみると意外と出来るものなのです。そして継続してやってみる中で段々と自分にも出来るんだと自信がついていくわけです。
 結論では「苦手なこともやってみればできる」、「症状が出ても、やるべきことをやると気分が次第に変わってくる」とまとめていますが、これは全ての森田療法をやっている人に共通する原則ではないかと思います。
 最初は辛い、だから仕方なくやっていくのですが、段々とやっていくうちに自信がついてきて、そういう繰り返しの中で、「苦手な事もやれば出来る」とか「症状が出てもやるべきことをやれば症状が変わってくる」といった経験を得ることによって、「多少症状はありながらも社会に出てやっていけるんだ」という将来への希望が見えてきます。まさしく森田療法の治療原理が良く分かる発表だったと思います。

 退院後、不安になることもあるかと思いますが、悪くなった時こそ今日発表したことを思い出し、発表原稿をもう一度見直してもらうと、そこに解決のヒントがあると思います。また、神経症治療という面だけでなく、入院森田療法で得た種々の社会的体験はまた後になって役に立つことがあるのではないかと思います。頑張っていただきたいと思います。本当に、退院おめでとうございました。