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茶話会メニュー:ヤマイモのガレット
ひじきサラダ添え
フルーツミルク寒天
(イチゴ・キウイ)
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24歳 男性 専門学校生
不安神経症(パニック障害)
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体験発表:
私が最初に発病したのは、19歳の時12月の頃でちょうど受験期まっさかりの時でした。その時は、ストレスのせいか、十二指腸潰瘍を患っていました。私が寝床に就き、うとうとしていると、突然頭の中でなにかがプツンと切れたように急激に強い不安感、恐怖感が襲いました。それにともない、心臓がドキドキし、呼吸がとても苦しくなり、何がなんだかわかりませんでした。
それからというもの、不安になる、呼吸困難、また不安になる、という悪循環でいつも呼吸が苦しい状態がつづき、外にも出られなくなりました。これはおかしいと思い、近くの精神科へと行き、薬をもらって少し落ち着きました。それからは、外や、電車、飛行機などの発作を引き出すような場所に恐怖感を覚えました。発作を起こしてしまい人に迷惑をかけるとどうしようなどと思い、逃げたくとも逃げることのできないような場所に行くのはおっくうになりました。
しかし、大学受験のため上京せねばならず、薬を飲みながら訓練をして慣れさせていきました。上京してから精神科のクリニックを受け、初めてパニック障害と診断されました。その時は少しほっとしたのを覚えています。その後も、発作はときどきあり、不安感、呼吸困難はあまり改善されることなく、他のクリニックを転々としていました。そうするうちに4年以上もの月日が経ち、弟や親の薦めでこの三島森田病院への入院を決意しました。この病院には以前弟が入院していたこともあり、森田療法をやってみたらどうかと言われ、知ることとなりました。
入院初日から一週間は臥褥というのをやりました。臥褥というのは、食事以外は一切気晴らしや話などをせず、ベッドに横になっていなければならず大変でした。初日から3日目が経ち、動きたくてたまらず、一度退院してしまいました。
そのとき母親が涙ながらに入院を頼むので、私もよしまたやってみるかと再度決意し1週間後に再入院しました。2回目の臥褥は初日から3日目までは気が乗らないものの比較的楽に過ごせました。この調子だと残りはいけるだろうと楽観視していましたが、5日目から苦痛になり始め、一日一日がとても長く感じました。その頃は将来のことなどを考えて過ごしました。なぜかそうしてすごすうちに将来のことなど考え事をするのが疲れてしまい、趣味等の意欲が喪失し、固執していた考えもなくなり、どうでもいいような心境に陥りました。そうして一週間を乗り切りました。その時は、不安感はありながら意欲がない状態で、そのまま軽作業期へと移行しました。
軽作業期では、落ち込みが激しく、草取りなどもつまらなく感じ、ぼーっとやっていました。そしてとてもやりきれない思いで、問診のたびに退院したいと先生に言ったのを覚えています。しかし看護婦さんから社会へ出るための訓練になるというのを聞いて、我慢してやっていこうと思いました。その時は本当に良くなるのだろうかなど疑問や不安もありましたが、とにかく3ヶ月はやってみるかと思い切りをつけました。それも先輩がたが竹細工など作業を黙々とこなしている姿を見て、なんでみんなはこんなことに集中しているのだろうかなどと疑問に思いながらもなんだか新鮮に見え、印象的だったこともあり、それもつづけていこうと思ったというきっかけであったのかもしれません。
そうして重作業期へと移り、本格的に参加させていただくことになりました。最初の頃は、慣れない環境の中、先輩の姿をまねしながらやっていましたが、作業の合間に指導員さんによる農業に関する話を聞いていくうちに農業について面白味をもっていきました。種植えの際芽が出るのを今か今かと毎日待っていましたが、なかなか芽は出てきません。やっと芽が出てきた時はうれしく思ったのをおぼえています。今まで緊張と不安でいっぱいであったのが、その時のんびりとした妙に落ち着いた気分を味わいました。
集団療法の時間では、森田療法の理論を学びました。先生に森田療法の本の解説をしてもらうのですが、その本の言葉一つ一つがその時の心境にしっくりきました。その後症状がひどくなったりする時には、本の中の言葉が頭に浮かんできて、気分を落ち着かせてくれました。印象に残った言葉は、「あるがまま」、「目的本位」、「思想の矛盾」などたくさんあります。けっこう集団療法の時間は好きでした。そうしてやっているうちに、いつのまにか他の患者さんと笑ったりして楽しく過ごしていました。
それからリーダー、サブリーダーという役がまわってきました。その時は緊張して、うまくできるか、覚えられるか、不安でいっぱいでした。それでも自分なりに精一杯やりました。そうしているうちに、慣れてきたせいか、緊張感や不安感は次第に薄れてきました。とくに注意をしたのは、まわりを見渡して、道具の不備はないか、要るものを積極的に用意したりと努めることでした。そのうち、他の患者さんがいないときに、代りにリーダー サブリーダーをやることが多くなりました。そういった周囲への配慮、指示などをする立場に立ったことがないので、人に言われるままに動きがちであった私にとって良い経験であり自信となりました。将来そういう立場に立ったときにもきっとこのことを思い出し、役に立つことだろうと思います。
最後に退院する身となった今、病気がよくなったというはっきりとした自覚はあまりなく、不安感や呼吸が苦しいというのは今でもありますが、社会活動をやっていくということに関してはあまり支障はないだろう、症状があってもやってもやっていけるというような自信はつきました。ですから、この先をどうやっていくか、今何をやりたいか、といったことを考えているうちに、いつのまにか症状を忘れていることが多くなりました。内にこもって悶々としていた自分が、ほうれん草はどうなっただろうか、竹とんぼはどうしたら飛ぶだろうかなど別のことを考えるようになりました。そして自分はどうしてこんなに苦しい思いをしなければならないのだろうかなど思っていましたが、他の森田の患者さん、そして過去の体験発表を見ているうちに、自分だけではないのだなあ、と思いました。この文章は私の入院生活をふりかえってありのままを書いたものですが、過去の森田の先輩の患者さんの体験発表をみると、自分と同じようなことを思い経験されてきた人がたくさんいるようです。このことは、森田療法がどのようなものかを説得力をもって感じさせました。
体験発表を書きながら、あらためて過去から現在、未来を深く考えさせられました。このことはとても意味があるんじゃないかなあと思います。そして、みなさんにはとてもお世話になりました。入院中のみなさんの支えをひしひしと感じます。退院するのを寂しくさえ思います。どうもありがとうございました。
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内山先生の講話:
あなたは臥褥3日目くらいから退院する気持ちが強くて、引き止める間もなく退院してしまったのですが、翌週には再び戻ってきて入院の続きをやっていただきました。臥褥中に脱落して退院してしまったのに決意し直してすぐ再入院したというのは非常に珍しいケースです。入院をし直すということは相当の覚悟があったと思います。最初は自分でもこの治療でいいのかなという疑問があなたにあったのではと思うのですが、今日の発表からはその後あなたがどのくらい一生懸命やっていたかが分かると思います。だから、論より証拠というか、百聞は一見に如かずというか、実際やってみるとやる前の自分のイメージとは大分違うのが分かったと思います。「結果はともかくやってみよう」という精神は、症状を治すというだけでなく、世の中に出ていった時にも役立つと思います。
さて今日のテーマは「パニック障害」です。最近ではパニック障害と呼ぶのが一般的ですが、従来は「不安神経症」と呼ばれていました。パニック障害は1980年代にアメリカの診断基準であるDSM-Vができて初めてついた診断名です。私が医者になった頃は‘Panic
Disorder’という英語名がそのまま「パニック・ディスオーダー」とカタカナで書かれたりしました。不安神経症とパニック障害を比較すると、実はパニック障害の方が優れた診断基準なのです。現在の診断基準(DSM-W、ICD-10)では、パニック障害に並立する疾患として「全般性不安障害」というものがあるのですが、パニック障害は発作を起こす、それに対して全般性不安障害は常に不安が続くという点で違いがあります。パニック障害と厳密に定義されるようになったことは治療にも貢献しています。特に今有名なSSRIという一連の薬剤はパニック障害には有効だが全般性不安障害にはさほど有効ではないというところにもこの診断基準を作る意味を窺えます。
森田正馬先生だけが使った用語に「発作性神経症」というものがあります。神経症の一型を指しますが、その記載を見てみると、発作性神経症はまさにパニック障害のことを言っているのです。つまり、森田先生というのは世界的に1980年代から広まってきたパニック障害という概念をすでに1920年頃に先取り、その後普及した「不安神経症」という概念とは別個の「発作性神経症」という概念を提唱したわけです。つまり森田先生は、パニック発作のある人は他の不安神経症の人とは違うということを薬理学の進歩がない時代に症状だけをみて見抜いていたのだから、まさに先見の明です。
それでは次に、パニック障害の内容について説明します。パニック障害というのは、発作的に不安症状が生じ、大体30分から1時間位で症状が消失するものです。中でも頻度の多い症状は『動悸』です。この症状のみの場合「心臓神経症」ともいいます。これは内科でよく知られる病態で、ある先生に言わせると循環器科受診者の約4分の1は心臓神経症とのことです。つまり、発作的に苦しいと訴え救急車で運ばれてきて、心電図等諸検査をしても異常なく、30分から1時間後にはけろっとして帰っていくというケースが結構多いのです。これは心臓に関する症状のため、最初は精神科ではなく内科を受診し、そこでちょこっと安定剤を出してもらって良くなりましたという感じで終わるケースも多いと思いますので、精神科に来ない人も多いのではないかと言われています。ある統計では、軽症の人も含めれば、パニック障害は5%くらいいるのではないかと言われています。5%と言ったら20人に一人ですからかなり多い割合になるのですが、実際は内科すら受診しない人もいるので精神科に回ってくる数はさらに少なくなり、精神科医が診るのは全体のごく一部というわけです。
次に多いのが『呼吸困難感』で、先の動悸と合併する場合も多いです。これも肺、その他呼吸器官に問題があるというわけではなく、感覚として息苦しい感じがするというものです。苦しいからといって深呼吸しすぎると、血中酸素濃度が上がり過ぎて手足のしびれ等の症状を引き起こし、いわゆる「過呼吸症候群」に発展する場合もあります。これは別の疾患ではありますが、もともとパニック障害が基盤にある場合が多いのです。
その次に頻度が多いのが『めまい感』です。この場合のめまい感は、別の言い方をすると身体動揺感、つまりふらふらする感じで、耳鼻科的な異常によって眼振が生じ景色がぐるぐると回る耳鼻科の「回転性めまい」とは全く異なるものです。患者さんの言い方を借りると、「ふわふわしている」、「倒れそうな気がする」、だけど「全然倒れない」めまいです。この「全然倒れない」ところが、平衡器官の異常ではなくあくまで異常という気がするという症状であり、精神科的な症状であることを示しています。
それから、少し頻度は落ちますが、『喉頭違和感』という症状もあります。喉の詰まった感じがするというものです。そして、身体症状ではないのですが、『死の恐怖』という症状があります。この場合、今にも死んでしまうのではないかという感覚を持ち、救急車を自ら呼ぶ人が結構います。はたから見ればたかがドキドキするくらいと思いますが、本人にしてみれば大地震やサリン事件が起こったくらい深刻な状況なのですね。死の恐怖は急性症状ですが、頻繁に発作が起きると自分の感覚がおかしいのではないかという『発狂恐怖』につながっていきます。これは前回の強迫症状の体験発表にも出てきましたが、パニック障害でも起こります。その他頻度が多いものに『発汗』、『手の震え』が挙げられます。あなたはどの症状が多いですか?
体験発表者:「動悸、呼吸困難感、めまい感、死の恐怖、発狂恐怖、発汗、手指振戦です」
わりと典型的で頻度の高い症状ですね。これらの症状が大体3つくらい起こるのがパニック障害の必須条件で、30分から1時間くらい発作的に続いてその後軽くなるというのが特徴です。これらを「パニック発作」というのですが、問題がその発作だけなら、内科的な症状、神経的な異常であり、神経内科の領域と思われます。しかし実際はそうではなく、パニック発作を中核とするも、その周辺に「パニック関連症状」と呼ばれる症状があり、症状が二重構造を成しているのです。実は、むしろこのパニック関連症状の方が重要かつ深刻で、精神科領域の症状なのです。
パニック関連症状ですが、一番頻度が多く重要なのが『予期不安』です。パニック発作が起きると、死の恐怖等が生じてきて非常に怖い思いをする。だから、一度起こると次にいつ起こるのだろうという不安感が非常に強くなる。厄介なことにパニック発作と予期不安は相乗効果をきたす構造になっていて、「パニック発作があるから予期不安がある」、そして次が肝心なのですが、「予期不安があるとパニック発作を誘発する」という事が言われています。パニック障害の人は電車に乗るのを嫌がるとよく言われますが、なぜかと言うと、電車に乗った時に一度発作が起きたとすると、今度電車に乗る時にまた発作が起きやしないかと非常に心配し、実際電車に乗ったときに発作が起きる可能性が高まるのです。不安を強く持つと、そのせいでパニック発作がまた起きる。また発作が起きるから、予期不安がまた強くなる。予期不安が強いから、発作がますます大きくなる・・・。そういう悪循環をなす、非常に厄介な構造になっているのです。実際には一生で一度の発作でも、その後ずっと予期不安に悩まされることがあり、その後発作はなくても予期不安だけで家から出られないという人もいます。だから予期不安は非常に大きい問題で、予期不安とは内科的な問題ではなく、まさしく精神的な問題であるということなのです。
予期不安の他には、発作を起こしたら嫌だという強い気持ちから、発作を起こしそうな場所を嫌がる『恐怖症性回避』があります。簡単に言えば、助けが得られない場所、すぐに逃げ出せないような場所、恥ずかしい場所などを嫌がるようになるのです。具体的には、一人でいる、特に野原のような広い場所に一人でいることを嫌がります。それとは逆に、怖いとか誰も相手にしてくれない気がするとかこんな所で倒れたらみっともないといったことから、デパートや駅といった人ごみも嫌がります。トンネルや橋、高速道路、渋滞、電車、バスも嫌がられます。空飛ぶ飛行機なんてそれこそ逃げられないのでパニック障害の人は乗らないですね。九州でも沖縄でも船で行きます。それに対して、自分で運転する方が自由度が高いため、自家用車の場合は症状が出にくいのです。それから、床屋や歯医者といったような状況を嫌がる人もいます。この恐怖症性回避は外出恐怖につながるもので、パニック障害が重症になってくると、引きこもり状態になるわけです。
次に『心気症』が挙げられますが、これは、ガンが怖いとか頭痛がする、腰が痛い等々、体のことを心配したりすぐ医者に行きたがる傾向の事です。パニックになると、これまで健康に注意したことのない人がびくびくするような感じになります。それから『抑うつ症状』があります。これには二通りあります。うつ病の人がパニック障害になる場合もあるし、パニックを何度も繰り返すうちに段々と外出できないくらい憂うつになり、最終的にはうつ病のようになる場合があります。これは2つの疾患が単に重なっているだけなのか判断が難しい所ですが、SSRIという同じ薬でパニック障害もうつ病も治すということは、恐らくどこか根っこの部分では関連があり、パニック障害とうつ病は往々にして合併するのではないでしょうか。
森田療法では、不安を躍起になって消そうとすることを「はからい」と言います。森田療法的に考えれば、パニック発作と予期不安の悪循環は、「はからい」の努力が逆効果となり、不安が増え、また発作を誘発し、その繰り返しの中で症状が悪化していくのだと説明できます。森田療法では、この「はからい」をなくす、具体的には症状があってもそのままにしておくこと、森田の用語で言い換えると「あるがまま」を第一としています。そして「目的本位」、簡単に言うと、外界に目を向けて建設的な行動をするのが重要です。ですから、今の現実生活を一生懸命やれば、不安や症状がありながらも症状をいつの間にか忘れるようになっていくというのが森田療法の教えだと思います。あなたは最初ドロップアウトしましたが、その後猛勉強をしてよく森田療法をマスターしたと思います。
私からあなたに贈る言葉は「不安常住」です。不安をなくそうと思うといつまでたってもなくならず、不安はあってもいいんだという心が結局不安をなくすのだということです。それがパニック障害の人には特に重要なアドバイスと思います。症状云々以外にも入院生活では種々の良い体験を得たと思いますので、今後も活かしていっていただきたいと思います。本当におめでとうございました。
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