体験発表


第60回体験発表
茶話会 メニュー:
     @オレンジとバナナのケーキ
     Aそら豆のグリル
     B紅茶
        
体験発表者:
        54歳 女性  無職
        PTSD(外傷後ストレス障害)
    
体験発表

 私は結婚してから毎日毎日、夫から暴言を言われ、暴力を受け、苦しい日々を過ごしました。
 今から5年ほど前、娘が結婚して夫婦二人きりの生活になって1ヶ月か2ヶ月たった頃、暴力がひどくなり、動悸が激しくなったり、頭が痛くなったり、眩暈がしたり、体が震えたり、辛い日々が続きました。病院に行き検査してもどこも異常なしと言われ、内科の医師から「また仮病でしょう」と言われました。
 夫は私の言うことが信じられないと言いました。その言葉を聞いた時、体が震え、動悸が激しくなり、呼吸が出来なくなり、声も出ない状態にもなりました。夫から首を絞められるようになり、身の危険を感じ、家を出て一人でアパート暮らしを始めました。一人になったものの毎日毎日が辛く悲しくなり、そのうち勤めていた会社にも行けなくなり、ついに退社しました。
 それからが地獄の毎日でした。暗い部屋で一人死を考えるようになりました。夜中に山の中を彷徨い、死に場所を探す日々でした。やっと見つけた場所で首を吊りました。

 目が覚めたのは昼の12時頃でした。枝が折れて10時間くらい気絶していたようで、私は何がなんだか分りませんでした。「生きてる?」自分は死ねなかったのです。しばらくぼんやりその場にいました。暗くなって帰りました。
 2ヶ月ぐらい喉が痛く声も出ず、食物が食べられず、水とジュースで過ごしました。体重が23kg、20kgと減っていきました。痩せてしまい歩くことも出来なくなりました。思考力が無くなり、「これで死ねる」と思い目を閉じました。

 目が覚めたら病院でした。1ヶ月で退院しましたが、死にたいと思う心が強く、また夜中に山の中へ行くようになりました。「私は社会に適応出来ないんだ。人の迷惑になっているんだ」と思いこみ、道路に立ち、車の方に飛び出しました。急ブレーキをかけたトラックの運転手の方に大声で怒られました。
 その時私は我に返ったのです。「私は何てことしているの。又迷惑かけてしまった」と自分を問い詰めました。頭の中が真っ暗になりました。迷路の中に入って抜け出せなくなったようで、わけが分からなくなりました。また暗い部屋に入ったまま食事も水もとれない状態になり、辛い毎日が続きました。

 そんな時、見かねた友達が市役所に連絡してくれて、保健所の精神衛生相談に行くよう勧められました。そこに来てくれたのが内山先生でした。先生を見たとたん、泣きながら胸の内すべてを話しました。30〜40分話したと思います。先生は私の話をじっと黙って聞いて下さいました。聞き終わったあとで「貴方はうつですね」と一言言って下さいました。
 私に病名がある。本当にビックリしました。先生は「すぐ入院しなさい」とも言って下さり、本当に嬉しかったのを覚えています。治るものなら先生に治していただきたいと思い、その日に入院しました。

 入院期間は2ヶ月〜3ヶ月くらいと当初言われましたが、ほとんど誰とも口をきかず、閉鎖病棟で7ヶ月余り過ごしました。娘の前で夫から暴力を受けた光景を思い出してしまい、病院の中でも異性恐怖となり、心を閉じた状態になりました。それでも少しずつ女性とは口をきくようになり、少しは慣れてきたと思った頃、内山先生からはじめて森田療法の事を聞きました。
 その時思い出したのです。若いころ友達から森田療法というのを確かに聞いたことがありました。そこで森田療法病棟に入りたいと先生に告げました。

 しかし森田療法病棟に移ったものの、「若い人達ばかりでどうしよう。私に出来るかしら」と非常に不安に思いました。迷ったあげく、やはり私には出来ないと一度お断りをしました。そうしたら内山先生がもう一度問診をして下さり、若い人達の事や森田療法の事を詳しく話して下さいました。そこで私も考えを変えて森田療法に入ることにしました。
 本当は内心では不安でした。話をしない私がどうコミュニケーションを取ればよいか考えていました。心が重いまま臥褥に入りました。一人部屋にこもっているのは慣れているから楽だと思う心と5年間の苦しみが追って来るのではと思う心の間で動揺していました。

 臥褥1日目、辛い時の事を思い出して胸が苦しくなりました。2日目も昨日と同じ事を思い出し、昔の事を考えまいと思っても考えてしまいました。3日目は一日中泣いていました。なぜか涙が出て悲しくなりました。心の弱い面が出たのだと思います。4日目から心が落ち着き冷静になり、現在の事、森田療法の事を考えるようになりました。「自分を変えたい、何かが変わる」そんな事を考え思い、5日目、6日目、7日目とあっと言う間に一週間が過ぎました。

 臥褥が終り部屋を出た時、眩しいくらいに廊下が見えました。それまで物を見ようとしなかったからでしょう。臥褥は私にとって良い経験だったと思います。それから作業に入りました。ほうれん草と春菊の収穫でした。足が痛く力が入らず収穫が大変でした。体を動かす事のなかった日々でしたから、気疲れで終わったようでした。
 4日目に頭が痛くなり作業を休み本当に情けないと思いました。何をしても駄目な私、自己嫌悪に落ち入りました。「何のために森田療法に入ったのか分からない。もっと強い気持ちを持って頑張るしかない」と自分に言い聞かせました。1ヶ月くらい体が辛い時がありましたが、2ヶ月目からは作業が楽になりました。

 集団療法の時間は1日前から緊張し胃が痛くなります。3日前から本を読む練習をしたり、あがらないよう心を落ち着かせたり、いろいろしてみましたが未だ慣れません。しかし「あるがまま」、「事実唯真」、「柔順」などが私の好きな言葉となりました。あるがままで集団療法に出た時気が楽になりました。集団療法で学ぶ事の大切さを知り、自分に素直になり、生きる楽しさを知り、たくさんの事を学べました。
 私にはまだまだ異性恐怖があります。作業しながら会話が出来ず、距離をおいて話す事しか出来ず、日々考えて行動していました。冷たい女性と思われたと思います。作業して行く日々の中、会話は避けられない事に気づき、「あるがまま、柔順であれ」と思い出しその日から実行しました。自分から話しかけ、そばに寄り話を聞く事をしました。私にはすごい勇気のいる事でした。少し体が震えましたが、気が楽になりました。
 今も体が震えたりしますが前のような恐怖が無くなりました。本当に嬉しい事です。内山先生の御陰です。サブリーダー、リーダーなど私には出来ないと思っていたのですが、皆さんに助けられて何とか役目を果たせました。開放病棟の皆様に御礼申します。

 作業して行く中で気づいた事があります。作業に専念して集中していれば何の不安もないのです。ある時土に触れ作業している時泣いていました。昔を思い出したのです。若い時、結婚、子供、忘れていた事すべて思い出し胸が熱くなりました。「純な心」が私にあるのです。もう一度頑張ってみよう、私はそう思わずにはいられなかったのです。
 「今から私は変われる」そう思って生きて行きます。閉鎖病棟の看護師さんから別人のようで分からなかったと何度か言われた事がありました。「顔が前と違うね」と言われ素直に嬉しくなりました。私は変わったのですね?自信が少しつきました。日々を大切にして生きて行こうと思います。

 内山先生には感謝の心でいっぱいです。本当にありがとうございます。又看護師さんはこんな私に暖かく接して下さったり、優しい言葉をかけて下さり本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。森田療法病棟の皆様、年が離れている私に話しかけてくれたり優しくして下さりありがとうございました。

主治医のコメント


 今回体験発表をしていただきましたが、本当に気の毒な境遇で、今日あらためて心がジーンとしました。
 今から振り返ればあなたの心境はもっともっと悲惨で、筆舌に尽くしがたいものだと思います。今回は森田療法の体験発表なので森田療法病棟での話が主で、7ヶ月余り閉鎖病棟にいた間のことがほとんど述べられていません。しかし、それは本当にほとんど変化がなかったからでしょう。その頃は来る日も来る日も孤独に一日の大半寝ていることが多かったと思います。
 閉鎖病棟のホールでの光景を私は今でも覚えています。入院して3、4ヶ月経った頃でしょうか、あなたは誰ともしゃべろうとせず、5mほど離れた柱の陰から、怯えたように周囲に気を払いながらテレビをじっと見ていました。
 しかし、実はあなたにはこの時期が必要だったのです。セミが長い時間をかけて幼虫から成虫になっていくように、長らく閉鎖病棟にいてじっと静かに過ごすうちに、大きな傷が少しずつ癒えていったのです。
 そこで、私はあなたの状態がある程度落ち着いてきたところで森田療法を開始することにしました。そのあたりが入院してすぐ臥褥を開始する普通の場合と違うところです。閉鎖病棟で数ヶ月たつうちに、あなたは入院当初よりは少しは活動的になってきました。相変わらず他の患者とはほとんど、特に男性患者とは全く口をききませんでした。しかし、OT(精神科作業療法)の時間に編み物をしたりして、スタッフとは少しずつしゃべるようになり、ときに笑顔も見られるようになっていました。
 そこで、入院して7ヶ月ほど立った頃、そろそろ次に進む時期ということで、森田療法を勧めました。最初は「自信がないから勘弁して欲しい」とのことでした。それでも、もう一度説明したところで、ためらいながらもよく決心してくれたと思います。

 そして、閉鎖病棟から転棟して森田療法を行うようになってからは、勇気をふるって少しずつ他の男性患者とも口をきくようになりました。作業もだんだんできるようになり、率先して休日に畑の水やりも行うようになりました。そのうち他人の世話焼きや後輩の指導、全体の号令までするようになり、どんどん見違えるようになっていきました。
 今日の体験談は、畑で皆に叱咤激励する今のあなたの姿からは想像できないことでしょう。おそらく本来のあなたに戻りつつあるのでしょう。長い閉鎖病棟の時代を経て、ようやく森田療法で花開いた感じでしょうか。今までよく頑張ってくれたと思います。

 さてあなたに対して最初にうつ状態と言ったことは確かです。しかし、あなたは真のうつ病というより、PTSDであると思います。PTSDとはpost-traumatic stress disorderの略で、「外傷後ストレス障害」といいます。外傷とは心的外傷、即ちトラウマのことです。PTSDは衝撃的な事件を体験することが前提で、それが心に残り後になって色々な障害が起こるものです。それがあなたの場合にはうつにつながりました。入院したときはうつ状態でしたが、そのもととなっているのはPTSDだと思います。
 PTSDの概念とはそもそもベトナム戦争の後遺症から生まれたものです。アメリカ兵にとっては死の脅威に常にさらされた悲惨な戦争でした。その悲惨な体験をした兵士がアメリカに帰国した後、悪夢を見たり、幻覚に襲われて、暴れたり銃を乱射したりするようなことが起きました。悲惨な体験をしてから6ヶ月ほどで精神的な後遺症が現れたのです。

 この悲惨な体験の条件は、普通の人が体験しないようなとてつもない体験ということです。例えば1つには大災害・大事故です。日本で有名なのは阪神大震災と地下鉄サリン事件の2つです。大地震に見舞われて助かった人は、その後夜中にちょっとした物音で冷や汗をかいて起き上がったりします。サリン事件で神経障害などの身体的被害はなくても、ホームに倒れている人などの悲惨な光景を目撃したために地下鉄に乗れなくなり、会社に行けなくなったなどの事例が知られています。

 2つ目に欧米ではレイプや児童虐待が挙げられます。あなたの言っていた家庭内暴力(domestic violence)も、PTSDの前提となる体験の1つでしょう。やはり本人にとっては非常に大変な出来事であり、死の恐怖を味わうこともあります。この死の恐怖はパニック障害などで見られるものとは違って現実の危機です。
 しかし大事件に襲われても戦慄の恐怖におそわれるかどうかは本人の資質によります。同じ大事を体験しても中にはびくともしない人もいます。誰でも同じことが起こるわけではありません。事態を深刻に受け止める性格、精神的な素質が関わってきます。ただ事件が大きいほどこのような事例が多くなるため、PTSDの原因が環境か素質かは相対的な問題と言えるでしょう。

 しかし、PTSDの診断は大変難しいです。アメリカでは、小さい時に親から虐待を受けていたことを大人になるにつれて忘れていたのに、精神分析をきっかけに思い出して親を相手に裁判を起こしたというケースがあります。
 本人の心では虐待をされたと主張しますがそれを客観的に証明するのは難しいのです。こうした問題があるため、PTSDは安易に診断できるものではありません。

 次にPTSDの症状をみていきます。まず第1に、フラッシュバックが挙げられます。これは覚せい剤の後遺症としても有名です。覚せい剤をやめて何年かたっても幻覚などが起きることがあります。PTSDでも、あるときに過去の悲惨な体験をパッと思い出すことがありますが、これをフラッシュバックと言います。例えば食事をしているときなど全く関係ない場面で強制的に嫌な体験が思い出されるのでとても不快です。これを侵入的と言い、勝手に悪い思い出が平和な生活の中に入り込んでくるのです。
 第2に、無感動・無感覚が挙げられます。悲しんだりしているうちはまだいいのですが、そのうち全く感動がなくなってしまいます。
 第3に、その体験を想い起こさせる状況を回避することが挙げられます。あなたの場合は、男性を避けることが主でしたが、外出恐怖や引きこもりもありましたね。
 第4に、過覚醒が挙げられます。例えば夜中にパッと起きて冷や汗をかくような状態です。冷や汗、動悸、息切れなど色々な自律神経症状がでてきます。あなたの場合はこれら4つの代表的症状ををすべて持っているので、典型的なPTSDと言えると思います。たまたま運の悪い環境のため起こってしまったものであり、そのような経験がなければ起こらなかったものと思われます。

 PTSDの治療としては、1つには薬物療法が挙げられます。抗うつ剤(SSRI)など強迫神経症にも使われる薬を使用します。強迫観念のようにフラッシュバックやこだわりが出てきたりするため、SSRIでこれをやわらげます。
 2つ目は認知行動療法です。これは以前にも説明しましたが、強迫神経症に有効な治療法です。これはPTSDにも有効で、簡単に言えば慣らすということです。例えば強迫症状で手洗いがある人に対しては、汚いものをわざと触らせたり、長時間手を洗わせるという方法です。
 さらに詳しく述べますと、思考の面では「イメージ暴露」という方法があります。診察時に悲惨な体験を何回も思い出させ、治療者が勇気付けたり評価することによって、胸につかえたものを少しずつ取る方法です。
 行動の面では「実生活内暴露」という方法もあります。例えば、男性恐怖がある人にわざと男性と過ごしてもらうような方法です。
 森田療法はどちらかというと後者に近く、畑作業を通して自然な形で行います。作業をする上では人と話すことが必要になってきます。そのことを用いて少しずつ恐怖的状況に慣れさせていきます。認知行動療法とはこのように思考・生活を変えながら治療していく方法です。森田療法にも似たような効果が期待できると思います。

 あなたの場合、注目するべき点は、ここまで1年急がずゆっくりやってきたことです。2〜3年かけてもいいでしょう。人によってスピードが違います。あせらずゆっくりじっくり傷を取り除いていくのがよいと思います。今まで成果があったのは確かですが、ふと思い出してしまい暗い気分になることもまだあります。治療を続けて今後もっともっと良くなっていってもらいたいと願っています。