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茶話会 メニュー:
洋風ドラ焼き
リンゴのシロップ煮
シソの浅漬け
ホット紅茶
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体験発表者:
32歳 男性 家業手伝い
ひきこもり
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体験発表:
入院するきっかけは、同居している両親との意見の不一致で、一緒にいることですら嫌悪感を抱き、生活面に悪影響が出てしまった事です。
両親は私が他人とは違うことをしてしまうこと、行動力があまりないこと、今までなら気にしないことでも気にするようになり、挙句の果てには何かあると私の過去を持ち出したり、「他の人はこうやっている。もっと他の人みたいにできないのか」と比較するようになりました。それからは意見の不一致だけでなく、生活全般ですら悪く思われ、顔を見ることすら気分を悪くするほどでした。何かあると一方的に文句を言われるようになり、仕事がはかどらなくなっていきました。自らも積極的な行動にはなれませんでした。
入院生活ではまず森田療法について口頭で説明があり、入院期間が臥褥期・作業期に分かれている事を知りました。
@小規模でも集団生活をすることによって社会生活に対応できる為の準備段階をつくること、
A作業療法に没頭することによって自分が抱えていた悩みを発散、解消させる目的を果たし、入院生活と言っても私生活に近い生活状態であること、
B一定期間臥褥期間を設ける事によって作業や行動についての欲求を高めること、
C精神や神経について、あるいは思想や思考について悩みを抱えているもの同士の生活のため生活内でのコミュニケーションをとり易い事、
これらの理由によって森田療法を受けることにしました。「感情や思念にとらわれて今を見失うよりは治療生活を送ろう。これも自分の経験となる」と決心しました。
臥褥期間中、室内で何もせずただじっとしているだけの毎日。ただ食事の配膳を受け取ることと診察を受けることだけが人とのやり取りでした。
社会生活とかけ離れた空白の時間で何もせずに過ごしました。何もしなければ何も変わることもありません。感情や思念よりもするべきことをやらなければなりません。まずやることによって意志があれば変わるきっかけになります。これによって新しい方法が見つかるのではないでしょうか。人付き合いでの話題や会話の新しい接点になるかもしれません。多くの人がいる中で、いま自分は何もしていません。これから自分は何をして、何が出来るのでしょうか。知らないで間違ったことをしていないでしょうか。周りの人と同じような感性を持っているのでしょうか、意見は合うでしょうか。常識的な社会行動となるでしょうか。
時間だけが過ぎ憔悴、嫉妬、羨望やあきらめといった自分の意思とは別の思考が生まれ、何も出来ないという無力感に自分の意志と意識や思考といったものが加わり、何もしていないにもかかわらず精神的な疲労感と早く臥褥を終えたいという希望が織り交ざった感情が現れました。
行動が社会環境に適応できていないことにより、社会の中で意識的に行動を抑制してしまうことにより、消極的になり意欲を失っていったのではないのでしょうか。人に出来ると思われることは行動だけなのでしょうか。行動について考えて他に表すことは出来るでしょうか。
何もしなかった1週間、私は自分を取り巻く社会と環境・行動について自分のできることについて考えました。
臥褥を終えてから軽作業期、重作業期へと移り、作業生活へ移行しました。ここでの生活は今までの生活とは全く異なり、時間の流れ、人の動きが全くの別世界でした。「こんな事で良いのだろうか」という思いと、「時間が経てば考えが変わる。今は時間が過ぎるのを待とう」という思いがありました。
新しい生活環境で新しい人間関係が構築され、話題や会話の幅が広がり、思考や行動に新しい変化をもたらすこと。周りの人に刺激や影響を受けて行動することにより集団生活に自分が参加していくと自覚すること。また、自分の意識的な行動が集団生活で周囲に影響を与えることによって自己責任が生まれてくること。この新しい環境に新しい発見が得られるかもしれない。この新しい環境への期待とともに入院生活は始まり、私は作業に取り組んでいきました。
まずは一日を過ごす自分の生活習慣を作るように心掛け、日誌を毎日1ページ書きました。自分で日毎に記入する項目を作ったノートを作り作業日誌としました。朝、前日書いた日誌を出し、個人当番表による清掃や作業を行い、コメントが書かれ返ってきたノートにその日一日の作業内容を日記として書き、また自分のノートに一日の作業内容を書きました。
目に見える時間の経過。このままでいいのだろうか。本当に時間が解決するのだろうか。続ける作業に焦りと疑念が浮かび上がりました。毎日続けることで確かに何かしていると言う実感はあります。しかしそれは自分だけの実感で集団社会での社会的対応とは違います。「何が必要なんだろうか。まず何かすることだ」日誌に書かれたようにこう言い聞かせて作業に取り組み、できる事をやっていくようにしました。
森田療法、これは集団生活の中で個人が作業をこなし、自分にとっての何か新しいものを見つけていく社会環境だと思います。私も今までと違う生活をすることによってその違いに気付きました。意外にも日常生活の中で集団に適応することよりも作業を続けることによって実感が湧きました。書き込まれたノートを見て視覚的にも時間の経過を実感でき、毎日続けることが自信につながりました。また1週間に1度の集団療法によって森田用語や森田神経質の概要を学び、部分的な把握をもってだが自分の参考になるかもしれないと思いました。自分の考えだけでは不十分で、焦りや不安・実感と期待を抱えながらもとにかく作業を続けることで時間の経過に任せました。集団療法での森田用語に納得する事もありました。様々な状況があると思いました。
森田療法では似た境遇にあるもの同士の生活によっての自己の向上、啓発を持つことが期待できます。森田療法という生活の場所と時間の経過は私の想像以上に意識の変化をもたらすきっかけとなりました。十分に自分の置かれた状況を把握することや作業で少しずつ自分にできる事を探して周りの人に気配りすること。これだけで心境が変わり変化しました。
時間の経過は少しずつ私に新しい感情と心境の変化を持たせました。ゆっくりと少しずつ過ぎていく時間に自分の周りの社会を見落とさないように新聞に毎日目を通しました。まず実際にやってみる。考えてもやってみなければ分かりません。森田療法は私に挑戦するきっかけを与えてくれたように思います。
講話:
体験発表、ご苦労様でした。
あなたには最初病気という自覚はなくて、一緒に仕事をしているお母さんと喧嘩みたいになってしまい、精神科で診てもらえと言われてここに来たわけですね。実はあなたが何の病気か私にも分からないのですよ。結論から言うと、病気ではないのではないかと思います。誰しもあり得ることだと思う。行動力があまりないが、病気という病気ではない。それが今日のテーマなのです。病気ではないのに、なぜ森田療法なのかということです。
森田療法という治療法は、神経症に対する精神療法ということで有名なのですね。神経症を森田正馬は3つに分類しています。
1つは、強迫観念症というもので、これには強迫神経症(今は強迫性障害という)と対人恐怖(今は社会不安障害という)というものが入ってきます。
2つめは、不安神経症(今はパニック障害という)と呼ばれるものです。
それから3つめを普通神経質と呼んでいます。例えば、不眠症や過敏性大腸症候群みたいな症状も入ります。
以上の教科書に載っているどの症状にも、あなたの症状は当てはまらないですね。要するに病気ではないのではないかと私自身も思うわけです。
それではなぜ森田療法なのかということになります。森田療法とよく似た、神経症に対する治療法に行動療法というものがあります。森田療法と行動療法との違いをみていくとなぜあなたに森田療法なのかわかると思います。
強迫神経症の不潔恐怖という症状について例を述べましょう。不潔恐怖というのは、汚いと感じるとどんどん手洗いをしてしまうという症状です。
これに関して行動療法ではどう治療していくのかというと、もっとも代表的な治療法は、曝露反応妨害法(Exposure
& Response Prevention)と言われている方法です。曝露というのはさらすという意味なのですが、わざと汚いものを触らせておいてその後手を洗わせないという方法です。
不潔恐怖では汚いものを触るとどうしても手を洗いたくなってしまうわけです。訓練として、わざと汚いものを触らせておいて、それなのに手を洗わせないことを繰り返すことによって、だんだん手を洗いたくなる気持ちを抑えていこうという治療法なのです。
森田療法ではそんなことは何も言いません。畑で犬の糞に触れたとすると、不潔恐怖の人はすぐ「トイレに行かせてください」と言いますが、「駄目だ、畑作業中だろう、後にしておけ」という注意になるわけです。別に汚いものをわざと触らせるわけではないですから、畑に犬の糞がなければ何もないわけですね。
行動療法では、汚いものに触らせて且つ手を洗わせないというように、訓練のための訓練として行うわけです。他方、森田療法は正しい生活を送るという流れの中で自然と手を洗わせないということなのです。というわけで結局行動療法と森田療法とでやっている内容は似ているということになるのです。
症状をどう捉えるかということについて言うと、行動療法は「不適切な条件反応」と言えます。先ほどの不潔恐怖の話を例に挙げると、手がちょっと汚いと思って洗ってしまうと、ほんのちょっとの汚さがどんどん気になるわけで、一回手を洗うと次に同じようなことがあった時にもっと手が洗いたくなるし、度が進んでくると、手を洗ったにも関わらずしばらくするとまた手を洗いたくなって、結局何十回、何百回と手を洗いたくなるというふうにだんだんエスカレートしてしまうのです。
それは、汚いと思ったときに本能の赴くままに手を洗ってしまったという反応が間違っていたということで、不適切な条件反応であったと考えるのが行動療法なのです。森田療法は、神経質性格からくる悪循環の過程(「精神交互作用」)によって症状が悪化するというふうに考えるのですが、言わんとしていることは行動療法に類似していると思います。
治療の方は、行動療法では望ましい条件反応をつくる、森田療法では悪循環(精神交互作用)を打破するのが眼目です。究極的に言うと、行動療法というのは要するに症状改善のための訓練なのです。訓練ということは、マイナス点を修正するということ、不適切な反応を正しい反応に直していくということですね。
他方、森田療法というのはマイナスを問題にするわけではなく、朝早く起きて畑作業をするというような正しい生活を送ることをめざし、プラスを伸ばすというアプローチになります。ここが行動療法と森田療法のニュアンスの違いなのです。
ここであなたの話になるわけですが、あなたの症状は神経症症状というようなものではないのですが、でも自分が今困っているということでこちらに来たわけです。マイナスを修正するという治療法だと、どこがマイナス点なのかしっかり焦点を当てなければなりません。しかしプラスを伸ばすということは、マイナスに関係なくできるわけです。ということは、症状が神経症であるかどうかということはあまり関係がないのです。
行動療法は症状にターゲットを絞っているので、症状がどういうものであるかということは重要なポイントで、その症状をどう治していくかということになるわけです。ところが森田療法というのは、同じようなことをやっているのだけれども、プラスを伸ばす、つまり畑作業をしっかりやるとか、朝早く起きる習慣をつけるとか、みんなと共同生活を協調してやっていけるとか、そういうことをやってもらうわけです。そこであなたのように症状があまりはっきりしない場合でも、森田療法は非常に有用な治療となるわけです。
この、症状を治すのに症状を問題にしないという点は、目からウロコというか、いわばコペルニクス的展開と思います。ですから森田療法は単に病気を治すというだけではないのです。病気を治すというより、人間を成長させるのです。症状だけを考えるのが行動療法のような普通の治療になるのですが、同じことをやっているようで実は森田療法というのは、症状はさておき、正しい生活、普通の人間と同じ生活を送ってもらうということですね。
つまり森田療法は、例えて言うと漢方薬みたいなものなのです。漢方薬と西洋の薬の違いというのは、西洋の薬は肺炎だったら菌を殺す抗生物質を処方するということで、原因菌を少なくするというやり方ですね。それに対し、漢方薬で肺炎を治す場合は滋養強壮をめざします。体力をつけ、免疫力を高めて、菌に打ち勝つ力をつけることによって、肺炎を治すという方法です。例えて言うと、森田療法は漢方薬に似ており、症状そのものというよりも、背景にある生活習慣とか症状に対する心構えとかそういうものを修正していくことによって、ついでにというか知らぬ間に自然に症状も治っていくということになるというものなのです。
ですから、症状を治していく医療なのに症状をいじらないというのは、コペルニクス的な展開というか、非常に珍しいやり方だと思うわけです。それが可能であるのは、森田正馬自身も言っていることなのですが、神経質者というのは本当の意味での病気ではないということなのですね。
悪い癖がついただけで、真に病的なものではないということなのです。現代の医学が進歩した段階では、脳内伝達物質のレセプターの問題などありますから、強迫性障害、パニック障害をはじめとして、病気として確立している神経症はあるわけです。そういう中で、症状以外を治していくという視点というのは非常に斬新な視点であり、あなたのように症状がはっきりしない場合でも非常に有効なのです。
例えば、あなたが行動療法をしたいと言ったところで、あなたは関係ありませんと言われてしまうと思うのですね。そのところが、森田療法と行動療法の違いです。森田療法というのは、神経症の治療というよりも神経質の陶冶というべきものです。神経質性格を伸ばして磨いていくのが森田療法だということです。
あなたが言っていたように、意外にも集団の中で適応するよりも作業を続けることによって実感が湧くというのはむべなるかなと思います。森田療法を行うすべての人に共通する体験、つまり作業しながら何かつかむものがあると思うのですけれども、そうした体験は別に神経症の症状がなくてもあるわけですね。
これはどういうことかというと、森田療法というのは結局、普通の一般人からみれば当たり前に空気のようにやっている事柄なのですね。誰でも当たり前にやっている事柄であるがゆえに、神経症以外の人がやってもそれなりにうまくいくというわけなのですね。そういう意味で、万人に役に立つ治療法と言えると思います。
森田療法では、似た境遇にある者同士の生活によって、自己向上の啓発の作用をもたらすと思います。十分に自分の置かれた状況を把握して、作業で少しずつ自分にできることを探し、まわりの人に気配りすることを学びます。
わがままというか自分のことだけ考えていた頃とは違って、集団生活の中で他人に教えたり、全体を見回してリーダーとして気配りしたり、そういう練習が人間として成長させるという面が森田療法にはあるのではないか。だから、あなたの症状が何なのかは難しいところですが、しかし森田療法は間違いなくあなたに有用であったとは言えると思います。あなたは、神経症というわけではないですが、人は誰でもある程度神経質ですので、それを磨いていく意味合いが森田療法にはあるわけです。
退院後の活躍を期待しています。
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