らんぼうの連載記事
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宮
城県築館高校は、名にしおうバンカラ校だった。頭は丸坊主で長髪は許されなかった。登校には下駄か高下駄(足駄)で、汚れた帽子を被った。それで田舎の商店街を流し歩くのである。時には下駄に石が引っかかったり、雪がはさまってころぶことがあった。
喧嘩のときは下駄を持って相手を威かくし、不利と見ればそのまま裸足で逃げた。昭和三十年代なのに、小説『坊ちゃん』のような日常だった。
バレー部に入った僕は胃弱だった。合宿では消化が良くなるといって、カマドの消し炭を食わされた。まさに砂を噛む味だった。「うまいか南」と先輩が訊くので「まあまあです。先輩もどうぞ」と強がった(笑)。
朝遅刻をすると、どんな理由であれ、裸足で一周四百メートルの校庭を走らされた。雨でも雪でも裸足が原則だった。
この質実剛健の校風に、不似合いな生徒がいた。A君である。彼は英語が得意で、フランス語を習っていた。僕の家とは町の反対同志だったので、あまり親しくはなかったが、同じ音楽好きと知ったのか、A君が話しかけてきた。そして「南君、うちにエデットピアフを聞きに来ない?」と誘った。
僕は当時町で一番先に、E・プレスリーのレコードを注文する少年だったが、A君は仙台にまで買いに行き、ときにはロードショーを見て帰るのだという。ショックだった。「南君、コーヒーにする、それともお茶?」と訊かれた。うーん、僕はそれまでコーヒーというものを飲んだことがなかった。
A君の部屋で『愛の讃歌』を聴いた。この歌は狂おしく僕を包んだ。成熟したフランスのぶ厚い文化を感じた。A君は原語を正しく発音し、分別のついた大人のように優しく解説してくれた。黄金のひとときだった。
いつか母校を訪ねたら、A君が走って来て僕の手を握った。その眼が潤んでいた。彼は不似合いなはずの母校で英語を教えていた。
つづく
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日本経済新聞に連載されたものです
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