昭和三十八年大学受験のため上京した。東京には転校した友人がいて、三校を受験する一週間ほどやっかいになった。
受験日の前日には緊張をほぐすためと言って、寄席に落語を聞きに連れていかれた。ちょうど志ん朝の真打ち披露の日だった。東京ぼん太や歌奴の話に涙を流して笑いころげた。
翌日試験が終わると、二〜三日休みになるからといって、今度は当時流行していたジャッズ喫茶に、ミッキーカーチスや鈴木章治を聴きに行った。鈴木章治が演奏をほぼ終えたところで客に「何かリクエストはないか?」と訊いた。僕は「ハイ!」と手を上げ「『鈴懸の道』」と叫んだ。彼は「それではイガグリ頭の学生さんからいただいたリクエスト、鈴懸の道をやりましょう」と言って演奏を始めた。客はドッと湧いたが、僕は得意絶頂だった。
受験結果は第一志望が落ち、第二志望に合格した。僕は第二志望だった法政大学の社会学部に進むことを決めた。
合格通知が届いてしばらくしたある夜、父がホロ酔いで帰宅した。弟と僕のいるコタツの上に、腹巻きの中から取り出した包みを置いて、僕に開けて見ろと言った。
弟と奪い合うようにして包みを開けたら、一万円札がトランプのように舞った。全部で二十枚あった。前年この新一万円札が発行されたばかりで、僕はこの夜初めて一万円札を見た。
当時新任の教師の給料は一万八千円ほどだったので、二十万円がいかに大金か判る。「どうしたのこのお金?」と訊くと、父は「じいちゃんの残した田んぼ、二反売って来た」と答えた。「この金で東京へ行って、頑張れ」。
僕は涙を見られるのが嫌で席を立ち、暖房のない自室で毛布を被って泣いた。
その夜僕は田をかついで東京に行く夢を見た。同時に家族の有り難さが身に染みたが、これらは東京に出てケロリと忘れてしまった。
つづく