僕の大学時代は、ケネディが暗殺されて、東京オリンピックがあって、学生運動が盛んで、ビートルズがやって来て、気がついたらもう卒業だった。華の六〇年代まっ盛りの頃だった。世の中は高度経済成長を示し、人々の中流意識が高まっていった。
僕は法大時代に広告研究会に所属していたので、デザイン会社に就職したが、肌が合わずやめ、Fさんの紹介でラジオの台本を書くようになった。
僕は当時出現したラブホテルの見取図などを台本にし、出演の豊原ミツ子さんは「まあ、こんなふうになってるの?面白いわネエ!」と喜び、番組が盛り上がった。
ラジオに歌手のゲストも来た。彼らが出演している間、手持ぶさたのマネージャーと話すことがあった。ある時「いい楽曲が欲しい」とあるマネージャーが言った。「時は金なり、歌手は曲なりです」と。
僕はFさんにテープを聞かせた。「酔いどれ女の流れ歌」が入っている箇所を、彼は何度も繰り返し聞き「いいよこれ」と言った。
Fさんにビクターレコードの大物ディレクターを紹介された。スタジオの喫茶店で待ってると、驚いたことに、すぐそばで森進一が打合わせをしていた。ディレクターが森さんにヨオーと声をかけて僕のテーブルに来た。
あらかじめテープを聞いていたディレクターは挨拶もそこそこに「新人で行くよ。絶対ヒットするから、君も早くペンネーム考えなさい」と、性急だった。僕の運命が急転回した。
帰りしなディレクターは、真面目くさった顔をして僕を呼び、耳に口を寄せてこう言った。「本当にこの曲は君が作ったんだろうね?」「当然です」と答えると「いや失礼、君の若さでこの完成度だからね。立場上聞いておかなくちゃいけないんで」
そう言って僕の肩をポンと叩いた。トイレで鏡を見た。なるほど僕はただの若造だった。
つづく