「ウイスキーの小瓶」のレコードを出した当時、どこからともなく若者たちが集まって来た。彼らは手弁当でラジオのリクエストハガキを出した。レコード店回りをしたり、チラシを配ったり、学園祭に売り込みもした。
ある日どうしたら有線放送で曲をかけてもらえるか?という話になったとき、S君が言った。「僕が有線放送にアルバイトに行く」と。すごいアイディアだった。S君は武蔵野の盛り場にある有線放送会社に入り、主任の目を盗んでは、ウイスキーの小瓶をかけ続け、とうとう首になった。しかし給料はもらった。
ある日ラジオ番組にゲスト出演したとき、ディレクターが苦笑しながら言った。「らんぼうさんリクエストハガキ、もったいないからもう出さないで」。どうやら、組織票は見破られていた。「そうと分かっていても、こう毎週リクエストが来ると、ついレコードかけちゃうんだ」とディレクターは頭をかいた。寄り切り勝ちだった。
学生たちがアルバイトしていた「ひげ」という焼鳥屋でラジオのライブ放送をやった。狭いカウンターにマイクを置いて歌った。後にも先にも焼鳥屋のライブというのは聞いたことがない。
レコードがじわりと売れ始めた頃、僕は深夜自転車を走らせていた。うしろに車の気配を感じて振り返るとパトカーだった。まずいことに電燈の豆が切れていた。僕は路地を曲がり、振り返るとパトカーの姿が見えないので、ホッとして大通りに出たら、そこでパトカーが待っていた。酔いがさめた。
「そんなに急いでどこ行くの?」と警察官。
「友達のうち」
「それじゃ分かんない。住所は?」
「どっちの住所ですか?」
「おっ、言うね。酔ってるな。仕事は?」
「歌手」
「名前は?」
「みなみらんぼう」
「バカにするんじゃない」
いやはや。思い出の珍問答だった。
つづく