僕が若い頃は一杯飲み屋や大衆食堂で友達の輪ができた。痩せているくせに酒ばかり飲んでいる僕を見て、野球の得意な男が「らんぼうさん、少しは運動しなくちゃ。キャッチボールでもやろうか」と言い、ドラえもん広場のような空き地でキャッチボールを始めた。ラーメン屋、薬局の社員、銭湯の息子、それに学生達がぞろぞろと集まって来た。
「これならチームができるよ」と誰かが言い出し”むさしのランボーズ”が誕生した。
ピッチャーは法大工学部のK君が務めた。彼はそれまで野球とは無縁だったが、ボールを投げさせたら一番速かった。僕は不動のセカンドと呼ばれた。文字通り打球が来ても動かなかったからだ。右に球が飛んで来れば「ショートに行ったぞ!」と叫び、左に来たときは「ファースト!」と声を張り上げた(笑)。
それでも試合をすると勝った。当時吉祥寺ジャズジャイアンツというチームがあり、今は亡き吉祥寺ジャズの草分け、野口伊織さんが率いていた。彼らは僕らをあなどり大敗した。その後しばらくうまい酒が飲めた。
数年後伊織さんは僕の結婚記念野球と称して、結婚した翌日に試合を申し込んできた。「男なら受けてみろ」と彼が不敵に笑うので「分かった」と乗った。
寝不足、宿酔いなどもあったが、この日は相手のピッチャーの球に、バットがかすりもしなかった。それもそのはず現役の大学野球部のレギュラーピッチャーだった。
しかし負けは負けだった。吉祥寺に行くと耳にタコができるほど、自慢話をされた。
僕らはさらに精進し、川崎球場で試合をしたり、最後は元中日のスラッガー江藤慎一率いる、報知新聞選抜チームと後楽園球場で対決した。僕のチームの応援には現ダイエー投手コーチの尾花高夫が来てベンチに入った。
試合は一対0で負けた。僕らのフィールドオブドリームだった。今飲み屋で客同士で誘い合うことはなく、ドラえもん広場もない。
つづく