結婚した年に「山口さんちのツトム君」が大ヒットした。ちょっと風変わりなタイトルだとは思っていたが、むしろ地味な歌だと考えていた。NHKの『みんなのうた』で発表するや、全国から反響があった。
普通歌がヒットすると、歌手が脚光を浴びる。作者は黒子だ。しかし、この歌をうたったのは小学生の川橋啓史君で、ヒットの兆しが見えた頃はレコード会社から、多くの共作盤が出た。勢いインタビューなどは僕のところに集中した。
「この歌のモデルは誰ですか?」という質問が多かった。当時は山口百恵の全盛期で新党ブームのさきがけ新自由クラブが、山口敏夫らで旗揚げされた年でもあった。しかしたまたま山口という姓の少年が登場しただけだったので、質問のつどモデルはないとかわした。
歌が誕生してから十五年経ったある日『みんなのうた』が三十周年を迎えたというので記念誌を出すという。そのエッセイに「山口さんちのツトム君」のエピソードを書いてくれと依頼された。
僕は例によってこの歌のモデルは誰でもないと書き進めたが、ふと筆を止めた瞬間に思いがけないことがひらめいた。
「あっ、この歌に出て来る山口ツトムという登場人物は、自分自身だった」という思いである。
これまで山口という姓にばかりこだわっていたが、この中にうたわれている内容は、中学一年の頃に母を亡くした僕の心情そのものだった。絵本を見せるって誘っても「あとで」とすねている子供は、まぎれもなく僕であった。この歌にモデルはいたのだった。
僕は歌の不思議さを思う。母と暮らした愛しくも濃密だった時間は、亡きあともこれほどの秘めた力となって作品を後押しする。この歌の印税で家を建てたので、友達は「みなみさんちのツトム君ハウス」とからかった。
つづく