らんぼうの連載記事
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い僕の幼少時代はテレビが無かった。このお陰でたっぷり自然に鍛えられた。暗くなるまで遊んで「お母さん腹へったァー!」と叫ぶように家に帰った。
 天気の良い日に、部屋で本でも読んでいようものなら、祖母が心配そうにのぞき込んで「お前どこか加減でも悪いのか?」と訊いた。そう、まだ子供は風の子、僕は最後の風の又三郎のようだった。
 僕は風の又三郎が生まれた、イーハトーブから少し南の、宮城県志波姫町の出身で、当時はまだ村だった。近くにはラムサール条約で有名になった、水鳥の楽園伊豆沼があり、北には名峰栗駒山がそびえている。
 五、六年生になると、よく相撲をとった。家では座敷の畳二枚合わせて土俵がわりにし、母を相手にけいこをした。体格の良い母は強く、五年の頃は歯が立たなかった。ふすまが破れ、障子の桟がこわれ、畳がすり切れた。六年になると僕も急に身体が大きくなり始め、後半は母と互角の大相撲をとるようになった。
 そして中学一年に進学した四月、母は隣町の実家に用足しに出掛け、脳いっ血で倒れ、帰らぬ人となった。享年三十七歳だった。
 母が最後に買ってくれた学生服のことを覚えている。袖が指の爪まであるダブダブのもので、色気付き始めていた僕は、「こんなもの恥ずかしくて着られない!」と怒っていた。
 僕はバレー部に入り、忙しさにまぎれていた。九月のある日、なぜか練習がなく、午後家に帰った。誰もいないガランとした座敷に上がり、カーテンの透き間から入り込む、三角の陽差しを、さけるようにして寝ころんだ。
 その時、台所でカタン!と音がした。
「お母さん!」と僕は、小さく叫んで、身体をよじった。しかし、台所は深く静まりかえっていた。僕はそのとき初めて、母を失った悲しみを全身で受け止め、はばかりなく泣いた。僕の胸に悲しみが来るまで、一夏かかった。その年僕は十二センチ背が伸びた。

つづく

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日本経済新聞に連載されたものです
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