富士山頂で山小屋が消灯になると、天の川が本当に星の砂を敷きつめたようになる。都会では決して見ることのできない、奥行きのある天体を見上げていると、星酔いしそうになるほどの、星のひしめきを目のあたりにすることができる。いつもは空は広いな、と思うのだが、この夜ばかりは「星がぶつかりそうで狭いなあ」とつくづく思ったりする。
東の下界には、橙(だいだい)色にうごめく大東京がある。昼間は何も感じなかったのに、夜景になると街は巨大生物のように不気味だ。人間の集合体なので、生き物の住む場所には違いないのだが、都市そのものが生きているように思うのは、闇の演出なのだろう。
何年か前にニュージーランドのフォックス氷河周辺を歩いた。この辺りは南島のウエストランドと呼ばれる地域だが、雨が多いので土地の人々はウエットランドという。
山小屋に泊まった日も雨が降り続いていた。夕食後に各国から来たトレッカーたちとの、
楽しい交換会が終って、消灯になると真っ暗闇になる。それぞれ2段ベッドの枕元に、ヘッドランプなどを置いて寝るのだが、夜中に誰かがトイレから戻って来た。しかし、我々男性の部屋からは誰も出ていないはずだ。おかしいなあ、と思っていると、その人は手さぐりで誰かの顔をさすったらしい。さすられた方はびっくりしてうめいたが、さすった方が悲鳴を上げた。なんとある女性が部屋を間違えて、男部屋に入り込み、自分のベッドとおぼしき所に寝ている人の顔をなでたのだった。
突然起こった悲鳴に全員跳び起きて、ライトをつけた。隣の部屋にも声は響き渡り、騒然となった。
「ごめんなさい懐中電灯がどっかへ行っちゃったの。だって、真の闇なんですもの」
というわけで以来このことは「真の闇事件」として、長く酒の席の肴(さかな)となった。ともあれ今や電灯のない暮らしなど、考えられなくなってしまった。思えば電灯の歴史は、わずか200年ほどしかない。それまで170万年間、火が人類の明かりだった。
つづく
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