
メディア論はいかに<不>可能か
本の紹介文
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メディアは存在しない。これが本書のテーマである。私にとってのメディア論とは、つきつめれば、メディアの本質的な不在を論証するための議論を意味している。
それは例えば、女性を論じて女性の不在に至るようなパラドキシカルな議論と相似形をなすだろう。そう、セクシュアリティの根源性を謳いながら、女性の不在を宣告するラカニアンの身振りである。しかし、それは存在論的な厳密さの問題なのだ。
そう、本書は「メディア」を存在論的な根拠として用いることの不可能性、これを論証することをさしあたりの目標としている。(第一章より)
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第一章 |
イデオロギーとしての「内破主義」 |
| 第二章 |
CGとフェティシズム |
| 第三章 |
ジジェク的メディア論 |
| 第四章 |
マクルーハンの法則 |
| 第五章 |
ゴースト、あるいは複製に抗う残余 |
| 第六章 |
起源(の不可能性)としてのDK、あるいは三囚人のゲーム |
| 第七章 |
メディアのオートポイエーシス(前編) |
| 第八章 |
メディアのオートポイエーシス(後編)―「基礎情報学」の批判的検討 |
| 第九章 |
メディア理論と「不気味な谷」 |
| 第十章 |
メディアは何を伝達しているか |
| 第十一章 |
メディアの不在、あるいは「顔」の転移 |
| 鼎談 |
シニシズムと動物化を超えて 大澤真幸+東浩紀+斎藤環 |
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ユビキタス社会への「問い」 あとがきにかえて |
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