伝統の引継ぎに精出して   渡部 真弓 (横浜学連・山手教会)
横浜教区学生連盟で書記として活動中。横浜教区山手教会の中学生会のリーダーをベースに、日韓学生交流会などにも参加。

 教会っていう共同体はほんとに大きい、とつくづく思う今日この頃。でも中学の時は自分の教会と、横浜教区第3地区の7つの教会が全てだと思ってた。だから高校1年の春、学連の高校部の合宿に参加して、教区レベルで多くの人に出会ったことは私にとっては、横浜市外にもこんなにたくさん教会に関わる人がいた!という大きな衝撃だった。学連の正式名称は、横浜教区カトリック学生連盟。信徒使徒職団体のひとつで、カトリックのもとに横浜教区の学生が集い、いろいろな形で分かち合う場である。その学連は私にとって、教会っていうもののつながりの広さや可能性を最初に教えてくれた存在だった。
 しかし、わたしが大学1年の秋、横浜学連は活動停止をむかえることになってしまう。学連を中心になって動かそうという大学生がいなくてパワーダウンしていたところに、きっかけとなる事故があっての結果だった。私自身、大学生になっても学連はあるのが当り前で、誰かがやってくれるっていう考えをもっていた。学連がなくなってしまうなんて考えもしなかった。
横浜教区には、たくさんの教会があり、たくさんの人がいる。学連という場は、そのたくさんの人たちをつなぎ、出会わせ、分かち合える可能性を持っている。実際、学連の70年以上の歴史の中で多くの人が出会い、たくさんの貴重な体験を分かち合ってきた。自分もたくさん人と出会いたい。そうしたら、もっといろんなことが出来ると思う。そのために、学連をもう一度動かそう。学連はあって当たり前のものじゃなくて、やりたい人が自分たちで活動してはじめて存在するものだ。そんな当たり前のことに気づいた自分がいて、同じような数人の大学生が奮起し、2000年春、学連は再スタートした。
 2000年度は、学連のつながりを広げる目的で月に一回横浜教区内のいろいろな教会を訪問して、各教会の学生と分かち合いを行った。普段は日帰りできる距離の近隣の教会を訪ね、夏休みなど時間のある時を利用して、長野・山梨・静岡も泊りがけで訪問した。
 2001年度も、ひきつづきあちこちの教会を訪ねる一方で、いろんな教会の人を集めてみんなでイベントをやりたいと思う。バーベキューとか、真夏の鍋大会とか、カレー大会とか。食べるばっかじゃなくて、健康的にスポーツとかね。そして、普段考えないようなことを体験したり、考えたりしたい。それを、自分とは違う多くの人と一緒に分かち合えるような場にしていきたいと思う。
 一度停止してしまったものをまた動かすのはやっぱパワーがいるし、新しいことがしたくて手探りでやってるところもあって、未熟な部分もたくさんあると思う。でも、学連は、やりたいことを自分たち次第で実現させていける場だと思うから、みんなで楽しみながら、分かち合いながら作っていきたい。そんな横浜学連をどうぞよろしく。なにかやりたいことがある人、自分の教会にぜひ来てほしいという人、なんでこんな文才ない人に書記をやらせてるんだと文句のある人、興味のある人はぜひご一報ください!


困難を乗り越えグループ作りしたい   植栗彌(イエズス会司祭)
イエズス会司祭。この4月広島から東京に来て学生センターで遠藤周作の講座を担当。

 グループ作りのためには、第一に「よく聴く」ということが求められるでしょう。「よく聴く」ということは易しくありません。普通、人は途中で聴くことをやめてしまいます。AさんならAさんが、「本当に受け入れてもらえた」と、実感できるほどに聴きたいものです。
 第二に、良い目標を見つける(設定する)こと が求められます。たとえば、学生センターは、「下位目標」と命名できる色々な目標のもとに、諸企画を推進しています。日韓交流・カルチャー・聖書をめぐるディスカッションなど。これらを、今具体例としてのみ見るのですが、高い目標は、「キリストに喜ばれ、自分もしあわせ感が大きい生き方」の実現ということでしょう。その「下位」にくる現実味を帯びた目標設定に、グループ作り成功のための大きなカギがあるでしょう。
第三に、メンバー各人が「自分好み」のイメージの押し付けを避けるようにしたいものです。誰でも、「これは大切」「これこそ自分の中心的な求め」というものを持ちます。けれども、グループ作りするとき、それを皆にも求めるあまり、仲間の願いや感情を無視するほどになるなら、うまく行くはずがありません。
 私たちには、すばらしい上位目標があります。神の喜ばしさをともに喜んで行くという目標。これを実人生において目指すのには、壁がいくつも出てきます。それらを崩してゆける基本的原動力として、下記の導きは、有効なのではないでしょうか。つまり、イエスが自分を「羊飼い」と喩えたうえで、次の保証を下さるところです。「私の羊は私の声を聞き分ける。」「こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる」(ヨハネ10章)と。種々の困難点を、イエスを慕う心の純粋さで乗り越えて進めるのではないでしょうか。
(……以上自戒をこめて、述べてみました。うえくり わたる)


こんなグループがいいなぁ。   倉田厚(スタッフ・西千葉教会)
TYD、YGT、その他のカトリックのいろいろなグループの活動の企画に携わり、参加している。活動しながら感じているグループ観を書いてもらいました。

 いいことかそうでないかは自分でも疑問ですが、色々なグループに属しています。そして色々なグループを見たり交わらせてもらったりしました。そんな視点から、こういうことを忘れないで欲しい。って事を何様のつもりか書かせてもらいます。
 それぞれのグループには、「そこでたまたま会ったから」なんてちょっとしたことから、「目的に向かって突き進むぜぃ!!」など、目的・手段など具体的なことから不思議なことまで、なにかしらの理由があるように思います。それぞれいろいろですが、そんな中で気持ちいいのが、一緒にいることを喜べているとき。満足や不満はどうあれ、あなたがそうやって一緒にいることをあなたたちが喜べていたら、気持ちいい。
 そのグループが広まって欲しいと思う。あなたが一つの理由に縛られることなく、いろんな喜びのチャンスを見失わないで欲しい。今そこにいないあの人も交わることが出来たら、あの人の喜びと共に、あなたにも新しい視野とともにもっと喜びのチャンスは広がる。
 そのグループ自体に信頼を置いて欲しい。そこにとって自分が大切な存在であり、自分にとってそこが大切な存在であることを信じて欲しい。役割があるとか、そういう実際的なものではなく、あなたがいるからそのグループなのだという信頼を。さらにその上で、そこからあなたがいなくなっても、グループはかたちを変えながら喜びであり続けてくれるという信頼を。
 これらが自分たちを正義と置かずにすむ方法だと思います。「わたしがやっていることは正義だ」このセンスはひじょ〜に怖い。たくさんの喜びのかたちがあるけど、正しいことは無理です。わたしもあなたもあの人も、それぞれの感覚があって全部を満足させることは出来ない。絶対のものであることは神やキリストに頼って任せちゃおう。
 わたしたちは一緒にいることを味わいながら、少しでも多くの笑顔が見られることを信じてグループでありたい。と願っていきましょう。