貝塚が全国各地に1,800か所もあることから分かるように、日本人は、縄文時代から魚介類を重要なたんぱく源として沢山食べてきました。
 サカナの語源は酒菜。つまり酒のつまみのことで、その中でもサカナや鳥獣類の動物性食品のほうが特にうまいので、これを真菜(まな。本格の食品)といい、これに対して植物性食品を蔬菜(そさい。粗略な食品)と呼びました。真菜を料理したり、神前に供えるために用いた板が真菜板(まないた)です。
 ところで世界中には1万2千種類以上もの魚がおり、日本近海に生棲するものでも約千種類です。そのうち日本人が現在食べている魚は、おおよそ200種類とされています。われわれの祖先は、欧米では嫌われるタコをはじめ、イカ、ナマコ、ウニ、ホヤそれに猛毒をもつフグと、実に奇妙なものまで、工夫をいろいろこらした料理法で利用してきた結果です。

 また福井県の鳥浜貝塚や青森県の三内丸山遺跡等の最近の調査によれば、今から2500年から1万年以上もさかのぼる縄文時代に、日本人の祖先は既に船を持ち、網等の高度な漁具を使ってさまざまな魚を捕っていたことが明らかになっています。当時、魚は主要な食物で、生はもちろん、煮魚等にして食べたようです。縄文人が捕らえていたのは、まぐろ、かつお、さば、いわし、まだい等の海産魚、こい、ふな、なまず、うなぎ等の淡水魚のほか、いるか、くじら等の海産ほ乳類、貝類、かに類等で現在私達が食べているものと殆ど変わりません。 
 その後、大陸から稲作が伝わり、弥生時代には、米、あわ、ひえ等の穀物と魚が主な食物となりました。平安時代の文献には、朝廷や貴族階級の食事として、なまず、なれずし、あつもの、焼き物、あえもの、塩漬け、酢漬け等、現在に通じるさまざまな調理法が記録されています。室町時代には、米の収穫量が増加し、米を主食に、魚を主な副食にする食事が庶民にも浸透しました。わさびとしょう油が作られ、現在のような刺身料理が普及し始めたのもこの頃です。 

 我が国の水産物の中には、伝統習慣と深くかかわっているものがあります。例えば、「祝事」にたいを用いることや「結納」の品としてのし(あわびを薄く伸ばしたもの)やこんぶを納めること等は、全国的に定着している慣わしといえるでしょう。これらの水産物は、長寿、幸福、繁栄、円満等を願う縁起物であり、のしには不老長寿の願いが、こんぶには子孫繁栄の願いが込められています。
 このように、水産物に食べ物以上の意味を持たせているところに、我が国の魚食の歴史の長さや水産物とのかかわりの深さがよく表れています。

 しかし最近では魚の名前を知らない子供達が増えています。子ども生活科学研究会の調査によると、いか、たこ、かに、えび等は知っているものの、普段よく食べているものでもあまり知らないという実態が明らかになりました。
 近年では、切り身や調理済みの魚が多く売られているため、子供が魚本来の姿を知る機会が少なくなっているからでしょう。しかし尾頭付きで売られていることが多いさばやあじ、いわし等についても名前を知っている子供が少ないと状況から、調理の手伝い等家庭で子供が魚と接する機会も少ないことがうかがわれます。
 食べている物が何か分からないということは、その素材がどこで生産され、どのように運ばれたのか、口に届くまでの過程に至っては見当もつかないということになります。
 魚介類の名称の正答率(%、平成10年)

資料:子ども生活科学研究会「魚介・野菜類の名称に関する調査研究報告書」(平成11年3月)
注:小学生(1〜6年生)が対象。

 海外との窓口が長崎一港に限られていた17世紀の江戸時代には、膨大な量の金銀銅が長崎から輸出されていましたが、これに変わる輸出物として登場したのが俵詰めされた水産加工品、煎海鼠(いりなまこ)、乾鮑(ほしあわび)、鱶鰭(ふかひれ)の、いわゆる「俵物三品」でした。これらは、日本全国から長崎に集められ、主として中国向けに輸出されていました。